太常(たいじょう)は、かつて中国にあった官職である。宗廟・礼儀・祭祀を管轄し、博士の考課を司った。

秦・前漢・新 編集

九卿の一つ。の中央官である奉常を起源とする。宗廟・礼儀を司る丞を置いた。前漢でも引き続き置かれ、景帝の時代に太常と改称された。属官には以下のものがあり、また、各陵県も太常に直属した(元帝永光元年(紀元前43年)に三輔の帰属とされている)。

  • 太楽令 - 太楽丞
  • 太祝令 - 太祝丞:太常への改称とともに、太祝は祠祀と改称。武帝太初元年(紀元前104年)に廟祀と改称
  • 太宰令 - 太宰丞
  • 太史令 - 太史丞
  • 太卜令 - 太卜丞(太初元年設置)
  • 太医令 - 太医丞
  • 均官長 - 均官丞
  • 都水長 - 都水丞
  • 廟令 - 廟長 - 廟丞
  • 寝園食官令 - 寝園食官長 - 寝園食官丞
  • 廱太宰令、廱太祝令 - 廱太宰丞、廱太祝丞:廱とは、天子が宴を行う場所のこと
  • 五畤(五帝を祀る祭場)の尉
  • 博士:秦以来の官名で、古今に通暁した人を指す。秩禄は六百石で、多いときは数十人置かれた。武帝の建元5年(紀元前136年)に五経博士が置かれ、宣帝黄龍元年(紀元前49年)には12人まで増員されている。

王莽は、太常を秩宗と改称した。

後漢以降 編集

後漢では太常に戻されている。定員1人で、秩禄は中二千石。丞1人を置き、秩禄は比千石。属官には以下のものがある(括弧内は秩禄。人数が書いていないものは定員無し)。

  • 太史令1人(六百。天文星暦と吉凶、記録を司る) - 太史丞1人 - 明堂丞(二百)、霊台丞(二百)各1人
  • 博士祭酒1人(六百。学問・掌故を掌り、祭祀の礼を議す) - 博士14人(比六百)
  • 太祝令1人(六百。国家祭祀に於いて祝詞を司る) - 太祝丞1人
  • 太宰令1人(六百。鼎や俎など膳立てに用もちいる道具の作成を統括し、祭祀の際に供え物を盛るための食器を陳列する) - 太宰丞1人
  • 太楽令1人(六百。国家の祭祀・大宴で奏楽を司る) - 太楽丞1人
  • 高廟令1人(六百。前漢の高祖・劉邦の廟を守衛し、巡察と清掃を担当する)
  • 世祖廟令1人(六百。後漢の世祖・光武帝の廟を守衛し、巡察と清掃を担当する)
  • 陵園令〔帝陵の数の人数〕(六百) - 丞、校長〔陵園令の人数×各1人〕
  • 陵食官令〔帝陵の数の人数〕(六百)

三国時代の各国、西晋でも引き続き太常は置かれている。呉 (三国)では三公に準ずるものとされた。

参考文献 編集

関連項目 編集

  • 神祇官 - 日本の律令制において太常に擬せられる。神祇官の唐名は太常寺であり、神祇伯の唐名は太常伯である。