太田 資胤(おおた すけたね)は、江戸中期の水戸藩家老。第5代藩主徳川宗翰に仕え、藩政改革を実施した。

生涯編集

陸奥棚倉藩太田資晴の次男として生まれる。 縁戚である水戸藩家老太田家の養子となる。家禄を継いで2000石。通称は下野守。

寛延2年(1749年)9月、水戸藩老中として省略掛(財政緊縮掛)に任じられ、宝暦6年(1756年)4月、致仕となるまで8年間、財政立て直しと民政の改革を推進した。 宝暦5年(1755年)12月、改革の成果で江戸・水戸の藩士の給分を遅滞なく与えることができたので、功を賞して700石を加増された。 一方で、同じく12月、太田資胤が負傷したと伝えられ、『水戸紀年』には「悪説紛々タリ」とある。 翌宝暦6年4月、致仕。

家系編集

水戸藩家老太田家の祖の太田正重は、掛川藩太田家の初代太田資宗の兄である。 太田正重は、水戸藩初代藩主徳川頼房の准母・英勝院の縁で頼房に仕えたが病弱で早世。その子太田資正が水戸藩家老となり、以後累代の家老となった。

参考文献編集

  • 『水戸市史 中巻(二)』