太田資順
太田 資順(おおた すけのぶ)は、江戸時代後期の大名。遠江国掛川藩の第3代藩主。官位は従五位下・摂津守。掛川藩太田家7代。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 |
明和元年12月20日(1765年1月11日)[1] または宝暦12年(1762年)[2] |
死没 |
文化5年10月7日(1808年11月24日)[1] または同年10月11日(同年11月28日)[2] |
改名 | 正之助(幼名)、資順 |
戒名 | 道栄日感大悟院 |
墓所 | 静岡県三島市の妙法華寺 |
官位 | 従五位下、摂津守 |
幕府 | 江戸幕府奏者番 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 遠江掛川藩主 |
氏族 | 太田氏 |
父母 | 父:太田資愛、母:不詳 |
兄弟 | 資武、資順、資言、正子、木下俊懋正室ら |
妻 |
正室:丹羽高庸の娘 継室:本多忠可の娘 |
子 |
永井直与正室 養子:資言 |
略歴
編集第2代藩主・太田資愛の次男。母は側室と言われている。幼名は正之助。
天明5年(1785年)に長兄の資武が早世したため、世子に選ばれた。文化2年(1805年)の父の死去により跡を継ぎ、翌年には奏者番となった。しかし3年後の文化5年(1808年)10月7日(または10月11日)に45歳(または47歳)で死去し、跡を弟で養嗣子の資言が継いだ。法号は道栄日感大悟院。墓所は静岡県三島市の妙法華寺。
系譜
編集父母
- 太田資愛(父)
正室、継室
子女
- 永井直与正室
養子
- 太田資言 - 実弟