奈良小1女児殺害事件

2004年に日本の奈良県奈良市で発生した誘拐殺人事件

奈良小1女児殺害事件(なら しょういちじょじ さつがいじけん)は、2004年平成16年)11月17日奈良県で発生した誘拐殺人事件。

奈良小1女児殺害事件
場所

日本の旗 日本奈良県

日付 2004年平成16年)11月17日
攻撃手段 誘拐
死亡者 小学校1年生女児(事件当時7歳・奈良市立富雄北小学校1年生)[3]
犯人 男K(事件当時35歳・毎日新聞販売店従業員)
対処 加害者Kを奈良県警が逮捕・奈良地検が起訴
刑事訴訟 死刑(第一審判決・控訴取り下げにより確定 / 執行済み[3]
管轄 奈良県警察奈良西警察署など)[4]奈良地方検察庁
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加害者編集

加害者の男K(事件当時35歳)は1968年昭和43年)11月30日生まれ[5]大阪府大阪市住吉区出身[6]逮捕当時は36歳・毎日新聞西大和ニュータウン販売所従業員で、生駒郡三郷町勢野東一丁目のマンションに在住していた[2]

3人兄弟の長男で父親はプロパンガスなどの販売店経営だったが、学生時代は人と話すことが苦手で[6]、幼稚園・小学校・中学校といじめの標的にされており[7]、教室で1人で過ごすことが多かった[6]。小学校4年生の時に母親が三男の出産と同時に死去し[7]、以降は父親・祖母の手で育てられたが[6]、父親からゴルフクラブ・金属バットで殴られるなど虐待を受けていた[7]。大阪府内の私立高等学校入学後も家計を助けるため新聞配達を続けていた[6]

本件以前にも女児へのわいせつ事件を起こした前科があり[4]、1987年(昭和62年)に府内の私立高校を卒業して大阪市内の居酒屋チェーンに就職したが、1989年(平成元年)に大阪府箕面市内で複数の女児への強制わいせつ容疑で送検されて退社し[2]、有罪判決を受けた[4]。その後はトラック運転手として勤務していたが[2]、1991年(平成3年)7月に大阪市住吉区内で[4]女児の首を絞める事件を起こし[2]、殺人未遂容疑で逮捕[8]強制わいせつ罪で起訴され[4]実刑判決を受けた[2]。出所後は『読売新聞』『朝日新聞』『産経新聞』の各紙販売店を転々とし[注 1][6]、2004年1月以降は毎日新聞湯里販売所(大阪市東住吉区)で勤務したが、同年5月6日以降は出勤しなくなった[9]。その後、2004年4月25日に購読代金約23万円を着服・持ち逃げしたとして[10]、同年5月14日付で同店から東住吉警察署大阪府警察)に被害届を提出され[9]、事件当日(2004年11月17日)には約65,000円分について業務上横領容疑で逮捕状を請求されていた[注 2][10]。東住吉署員は2004年10月中旬 - 逮捕状が出た11月中旬にかけて湯里販売所に対しKの所在を問い合わせたが、販売所側はKからの返済[注 3]の滞りを恐れ、Kが誘拐・殺人事件で逮捕されるまで「知らない」と答えていた[10]

2004年6月には滋賀県内の読売新聞販売店に勤務したが、勤務態度が悪く約1か月半で正式採用を待たずに解雇され[6]、事件当時の職場である毎日新聞西大和ニュータウン販売所(奈良県北葛城郡河合町)には2004年7月から勤務していた[注 4][10]。なお毎日新聞大阪本社は湯里販売所・西大和ニュータウン販売所について「従業員の監督責任がある」として2005年1月末をもって取引を解約し[11]、同月25日には村上和弘・同社販売局長を役職停止2週間にするなど3人の社内処分を発表した[12]

事件の経緯編集

Kは事件当日の13時50分ごろ、奈良市学園中五丁目の路上で[1]帰宅途中の女子児童(事件当時7歳・奈良市立富雄北小学校1年生)[3]に声を掛けて車で連れ去った[1]。Kは自宅にて殺意を有した上で女児を浴槽に沈めて水死させ[1]、20時4分には遺体発見現場付近から被害者女児の携帯電話(全地球測位システム〈GPS〉付き)を使用して娘の行方を捜していた被害者女児の母親に対し、女児を撮影した画像を添付した上で「娘はもらった」とのメールを送信したほか[13]、同日22時ごろに生駒郡平群町菊美台二丁目の道路脇側溝に遺体を遺棄した[1]

司法解剖の結果、死因は水死と判明。肺にたまっていた水は汚れていなかった。水道水を張った風呂場か洗面器に顔を押しつけて、水死させたと判断された。また、殺害時に被害者を裸にして殺害後に服を着せたと見られている。手足にはすり傷があり、この傷は殺害後に意図的につけられたものと判明した。歯も殺害後に数本抜かれていた。被害者の衣服には毛が付着していたが、鑑定の結果B型とAB型の血液型のものだった。

12月14日0時ごろ、加害者Kは北葛城郡河合町中山台一丁目の中山田池公園東側駐車場で被害者女児の携帯電話から母親の携帯電話へ「次は(被害者女児の)妹だ」と、新たな犯行を予告するメールを送りつけるなどして脅迫した[1]。このメールには画像2枚が添付されていたが、1枚は事件当日と同じ被害者女児の画像が添付されていた[13]。一方で奈良県警察の捜査本部(奈良西警察署)は被害者女児の携帯電話から発信された複数回のメール・電話などの記録を解析し、すべて河合町周辺の基地局[注 5]経由で発信されていることを把握して同町周辺を重点捜査していた[13]。また「犯人は奈良県西部の土地勘のある人物」として聞き込み捜査などを行った結果[13]、「犯行に使用された乗用車は加害者Kが借りていた緑色のトヨタ・カローラIIである」「加害者Kは犯行当日、週1回の休日(水曜日)で事件当時のアリバイがない点」「加害者Kが飲食店で被害者女児の写った携帯電話の画像を客らに見せるなどしていた点」などが判明した[4]。そのため12月30日朝、捜査本部は被疑者Kを西和警察署に任意同行して[4]事情聴取したほか[13]、K宅を家宅捜索したところ被害者女児のランドセル・携帯電話などを発見し、同日中にKを誘拐容疑で逮捕した[4]。加害者Kは2005年(平成17年)1月19日には殺人死体遺棄の容疑で再逮捕されたほか[14]奈良地方検察庁により同日付でわいせつ目的誘拐の罪により起訴された[15]。その後はさらに死体損壊・脅迫容疑で追送検され、強制わいせつ致死罪を加えた6つの罪で奈良地方裁判所起訴された[16]

逮捕のきっかけは、女児の携帯電話からKの携帯電話にメール発信がされていたことで、その通信記録からKが割り出された。Kは行きつけの飲食店で被害者の画像を店員や客に見せていた。Kの自宅からは幼児ポルノのビデオ80~100本や雑誌、盗んだものと見られる女児の下着や衣類が約80枚、およびスクール水着に女性用の下着や女の子の服などを詰めて作った、頭や手足がない胴体だけの人形の様なもの[17]が押収されており、Kは小児性愛者であったとされる。なおこの胴体だけの人形の様なものは、事件発生から3日後にKが作った[18]

女児がKの車に自分から乗るところを目撃されており、顔見知りによる犯行も取り沙汰されたが実際には行きずりの犯行で、Kは女児とは面識がなく女の子なら誰でも良かったと供述している。Kが前科者だったため、性犯罪者を登録、監視する米国ミーガン法(性犯罪者の情報をインターネットで公開している)などにならった前歴者への監視を強めることの必要が議論された。

弁護士アダルトアニメを高校生のときに見たことが性格を歪ませた原因だと逮捕直後に語ったが、強制わいせつを初めてしたのは14歳のときであり、時期的に合わない。また、一部でフィギュアおたくではないかとデマが流れたが、Kはフィギュアをまったく保有していない(これについての詳細はフィギュア萌え族を参照のこと)。アダルト系同人誌も保有していなかった。

裁判編集

初公判の内容編集

2005年4月18日奈良地方裁判所で初公判が開かれた。「反省の気持ちも更生する自信もない。早く死刑判決を受け、第二の宮﨑勤東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の元死刑囚)か宅間守(附属池田小事件の元死刑囚)として世間に名を残したい」というKの述べた供述を検察官は朗読した。当時、宅間はすでに死刑が執行されていたが、宮﨑は上告中であり、月刊『創』2006年1月号で、「精神鑑定も受けずに、『第二の宮﨑勤』は名乗らせません」と批判した。なお、その精神鑑定では反社会性人格障害及びペドフィリアと診断(宮﨑はペドフィリアとは診断されていない。)され、2006年(平成18年)2月14日に鑑定書は奈良地裁に提出された。Kは月刊『創』2006年2月号から12月号まで獄中手記を連載していた[19]

2006年6月5日に奈良地裁(奥田哲也裁判長)で論告求刑公判が開かれ、検察官は被告人Kに死刑を求刑した[16]。同月26日の第10回公判で弁護人の最終弁論・被告人Kの最終意見陳述が行われて結審し、弁護人は被告人Kの殺意を否定して死刑回避を求めた[1]。一方、被告人Kは公判で謝罪の言葉を明言しなかった一方で「自己が犯した犯行は自己の命で償うしかないから早く死刑になりたい」などと繰り返し述べていた[20]

死刑判決編集

2006年9月26日、奈良地裁(奥田哲也裁判長)は被告人Kに求刑通り死刑判決を言い渡した[5]。なお、死刑は永山則夫の事件以降、殺害された被害者が1人かつ被告人に殺人の前科がない場合は適用されないことが多かったが、事件自体の悪質性や被害者家族の心情を反映しての判決となった。判決ではKはガッツポーズも見せ、判決後に弁護人に対し「死刑は覚悟していた」と述べた。弁護人は判決を不服として大阪高等裁判所に即日控訴したが、2006年10月10日正午過ぎに被告人K(奈良少年刑務所在監)が自ら控訴を取り下げ[注 6][21]、控訴期限の切れる2006年10月11日0時をもって死刑が確定した[22]。弁護人は当初「異議申し立てをするつもりはない」と表明していたが[21]2007年(平成19年)6月16日に一転して大阪高裁へ控訴取り下げの無効を求める審理開始の申し立てを起こした[5]。しかし申し立ては2008年(平成20年)4月に棄却され[5]、同年12月には再審請求申し立てたが、奈良地裁により2009年(平成21年)5月に棄却され[23]即時抗告したが大阪高裁(大淵利一裁判長)により2009年8月6日付決定で棄却された[24]。同決定を不服として2009年8月9日付で最高裁判所特別抗告したが[24]、2009年12月15日付で最高裁第二小法廷竹内行夫裁判長)は死刑囚Kの特別抗告を棄却する決定を出したため、再審が開始されないことが確定した[25]

死刑執行まで編集

2006年10月30日、遺族に弁護人を通じ、自分の行為は「人として最低な行為」であったが、「公判中に謝罪の気持ちを表したくてもできなかった」と書かれた文章を手渡そうとしたが、公判の様子からして本心からの謝罪だとは思われずに遺族に拒否された。これについて宮﨑や附属池田小事件宅間守死刑囚とも面会した長谷川博一教授は「ほかの2人と違い、悪いことをしたということはしっかり認識している」と述べている。

2012年福島瑞穂参院議員の事務所が実施したアンケートには、現在の死刑制度は被害者や世論の感情の影響を受けていると回答して死刑制度に対して反対の意見を記載した。また、絞首刑ではなく薬物投与による刑執行が望ましいとも回答している[26]

法務省法務大臣谷垣禎一)が発した死刑執行命令を受け、死刑囚Kは収監先・大阪拘置所2013年(平成25年)2月21日に死刑を執行された(44歳没)[27][28]。死刑執行の2週間前には恩赦不相当の決定が出されていたほか[5]、死刑執行当時は2度目の再審請求に向け準備中だった。同日には土浦連続殺傷事件名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件の両死刑囚(計3名。前者は東京拘置所・後者は名古屋拘置所に在監)の死刑囚についても死刑が執行され、自由民主党(自民党)の政権復帰(2012年12月・第46回衆議院議員総選挙の結果により第2次安倍内閣が成立)以降では初の死刑執行となった[27]

被害者の本当の死因編集

検察側は、Kが女児を自宅に連れ込んだものの、犯行発覚を恐れて女児が入浴中に頭を押え込んで湯船に沈めて殺害したとした。Kは逮捕後も検察の主張を否定しなかったが、それは「もう死刑で早く死んでしまおう」という意向によるものだったと後に雑誌に手記を寄せている[29]。Kによると真実は、「いたずらをするために女児に睡眠剤を大量に飲ませたのちに入浴させたところ、気が付いたら湯船の中で死んでいた」というものであった[29]。弁護人や精神鑑定をする鑑定医にも同様の話をしたが、当時は罪を認めた上での情状酌量を得るために情状鑑定をしている最中で、すべてが振り出しに戻る仰天の新証言は誰もまともに取り上げてくれなかったとしている[29]。法廷でそのことに言及しなかったのは、「判決で認定された殺人を自分は犯していないのだが、もう死にたいから法廷では一切争わないことにする」という理由によるものであった[29]

ネット関係編集

この事件に類似した内容の書き込みがmegabbsという掲示板にされており、犯人によるものか、もしくは犯行の参考にしたのではないかとテレビなどのメディアでも取り上げられた。[要出典]また、2ちゃんねるでは事件の手口に似た内容のスレッドが立てられており[30]、一部のニュース番組やスポーツ新聞[31]などに取り上げられた。

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 事件の約15年前から[4]
  2. ^ それ以降、東住吉署は2度にわたり逮捕状を取り直していた[9]
  3. ^ Kは2004年10月以降、持ち逃げした購読代金を返済するため湯里販売所長の口座に計12万円を振り込んでいた[10]
  4. ^ 2004年9月初めごろには湯里販売所からその事実を把握されていた[10]
  5. ^ 加害者Kの職場付近[6]
  6. ^ 被告人Kはその直前に弁護人と面会し「午後にも控訴を取り下げる」と話しており、弁護人から「なぜこんな事件を起こしたのかを説明する必要がある」と説得されたが、熟慮の末に決断したためか翻意しなかった[21]。取り下げ後にも弁護人と再び面会し「(10月)5日に結論を出した。何を言っても社会は理解してくれない」と話していた[22]

出典編集

以下の出典において、記事名に死刑囚の実名が使われている場合、その箇所をイニシャル「K」で表記する。

  1. ^ a b c d e f g h 奈良新聞 2006, 「計画的殺意なかった」-弁護側、減刑求める【第10回公判】.
  2. ^ a b c d e f 36歳の男を誘拐容疑で逮捕 奈良女児誘拐」『朝日新聞デジタル朝日新聞社、2004年12月30日。2005年1月1日閲覧。オリジナルの2005年1月1日時点におけるアーカイブ。
  3. ^ a b c K死刑囚の刑執行 - 小1女児誘拐殺人」『奈良新聞』奈良新聞社、2013年2月22日。2020年4月20日閲覧。オリジナルの2020年4月20日時点におけるアーカイブ。
  4. ^ a b c d e f g h i 奈良の女児殺害事件、36歳男を逮捕へ」『YOMIURI ONLINE』読売新聞社、2004年12月30日。2004年12月30日閲覧。オリジナルの2004年12月30日時点におけるアーカイブ。
  5. ^ a b c d e 年報・死刑廃止 2019, p. 261.
  6. ^ a b c d e f g h 女児の画像を知人に、携帯見せ得意気…K容疑者」『YOMIURI ONLINE読売新聞社、2004年12月31日。2004年12月31日閲覧。オリジナルの2004年12月31日時点におけるアーカイブ。
  7. ^ a b c 奈良新聞 2006, 最終弁論要旨.
  8. ^ 自宅から携帯 36歳男逮捕 奈良女児殺人」『スポニチアネックス』スポーツニッポン新聞社、2004年12月30日。2004年12月30日閲覧。オリジナルの2004年12月30日時点におけるアーカイブ。
  9. ^ a b c 奈良小1殺害、誘拐の日に逮捕状 前勤務先での横領容疑」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2005年1月14日。2005年2月6日閲覧。オリジナルの2005年2月6日時点におけるアーカイブ。
  10. ^ a b c d e f 奈良女児殺害:K容疑者、事件当日に横領容疑で逮捕状」『毎日新聞毎日新聞社、2005年1月14日。2005年3月6日閲覧。オリジナルの2005年3月6日時点におけるアーカイブ。
  11. ^ 毎日新聞社が販売所2店との取引解約 女児殺害事件」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2005年1月19日。2005年2月6日閲覧。オリジナルの2005年2月6日時点におけるアーカイブ。
  12. ^ 毎日新聞が販売局長らを処分 奈良女児誘拐殺害事件で」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2005年1月25日。2005年2月6日閲覧。オリジナルの2005年2月6日時点におけるアーカイブ。
  13. ^ a b c d e 奈良の女児殺害事件、36歳男を逮捕へ」『YOMIURI ONLINE』読売新聞社、2004年12月30日。2004年12月30日閲覧。オリジナルの2004年12月30日時点におけるアーカイブ。
  14. ^ 奈良の女児殺害、K被告を再逮捕…死体損壊容疑も」『YOMIURI ONLINE』読売新聞社、2005年1月20日。2005年1月21日閲覧。オリジナルの2005年1月21日時点におけるアーカイブ。
  15. ^ 殺人と死体遺棄容疑で再逮捕 奈良の女児殺害事件」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2005年1月19日。2005年1月21日閲覧。オリジナルの2005年1月21日時点におけるアーカイブ。
  16. ^ a b K被告に死刑求刑-更正は不可能【論告求刑公判】」『奈良新聞』奈良新聞社、2006年6月6日。2007年9月6日閲覧。オリジナルの2007年9月6日時点におけるアーカイブ。
  17. ^ 『マスコミは猟奇事件の容疑者をどう報じるか――2005年「奈良幼女誘拐殺人事件」における物語化』(2016年3月31日 松谷創一郎)
  18. ^ 『小林被告、反省どころか満足感 奈良小1女児誘拐殺人事件』(2005年4月19日 日刊スポーツ九州)
  19. ^ 月刊『創』(つくる)2006年
  20. ^ 奈良新聞 2006, 言いたいこと「何もない」.
  21. ^ a b c 中日新聞』2006年10月10日夕刊E版第一社会面15頁「奈良の女児誘拐殺人 K被告、控訴取り下げ 死刑判決が確定へ」(中日新聞社
  22. ^ a b 『中日新聞』2006年10月11日朝刊第12版第二社会面28頁「奈良の小1女児殺人 K被告の死刑確定」(中日新聞社
  23. ^ 特別抗告を棄却 - 最高裁、少女殺害のK死刑囚」『奈良新聞』奈良新聞社、2009年12月19日。2020年4月20日閲覧。オリジナルの2020年4月20日時点におけるアーカイブ。
  24. ^ a b K死刑囚の抗告棄却 - 小1女児殺害事件」『奈良新聞』奈良新聞社、2009年8月11日。2020年4月20日閲覧。オリジナルの2020年4月20日時点におけるアーカイブ。
  25. ^ K死刑囚の再審、最高裁認めず 奈良女児殺害」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2009年12月17日。2009年12月20日閲覧。オリジナルの2009年12月20日時点におけるアーカイブ。
  26. ^ “執行前「申し訳ない」K死刑囚、思いつづる 公判で後悔も”. 共同通信. (2013年2月22日). http://www.47news.jp/47topics/e/238539.php 
  27. ^ a b 3人の死刑を執行 奈良女児殺害のK死刑囚ら」『日本経済新聞日本経済新聞社、2013年2月21日。2020年4月19日閲覧。オリジナルの2020年4月19日時点におけるアーカイブ。
  28. ^ 法務大臣谷垣禎一 (2013年2月21日), “法務大臣臨時記者会見の概要 平成25年2月21日(木)” (日本語) (プレスリリース), 法務省, オリジナルの2013年6月13日時点におけるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20130613140605/http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00397.html 2013年6月13日閲覧。 
  29. ^ a b c d 死刑執行! K死刑囚と○○死刑囚からの手紙(『創』2013年4月号より)1/2 創 4月10日(水)14時13分配信 タイトルに本事件と別事件の死刑囚の実名が使われているため、その箇所を伏字とした
  30. ^ 奈良女児誘拐殺人:ネットに手口掲載 事件を誘発か」『毎日新聞』毎日新聞社、2004年11月22日。2005年1月13日閲覧。オリジナルの2005年1月13日時点におけるアーカイブ。
  31. ^ 日刊スポーツ 2004年11月22日、FNNスーパーニュース フジテレビジョン 2004年11月22日放送、など

参考文献編集

  • 年報・死刑廃止編集委員会『オウム大虐殺 13人執行の残したもの 年報・死刑廃止2019』(編集委員:岩井信・可知亮・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓)、インパクト出版会、2019年10月25日、初版第1刷発行、267頁, 275頁。ISBN 978-4755402982

関連項目編集

外部リンク編集