奥田 直純(おくだ なおずみ)は戦国時代武将。身の丈7という伝説がある。

 
奥田直純
時代 戦国時代
生誕 大永3年(1523年
死没 元亀2年(1571年
別名 七郎五郎(通称)、利直
主君 斎藤義龍織田信長
氏族 奥田氏
父母 父:奥田秀種
正室:堀利房の娘(堀秀重の姉)
堀直政
テンプレートを表示

概要 編集

美濃国茜部に500貫文の地を領し、斎藤義龍に仕えた。義龍が父道三と戦った際、怪力無双を謳われた道家孫次郎と戦いその首を討ち取った。これにより世人は直純を悪七郎五郎と呼んだという。義龍の死後は織田信長に仕えた。元亀2年(1571年)に49歳で死去した。

息子の三右衛門政次は従兄弟の堀秀政と共に信長に仕え、堀姓を賜り「堀直政」と改め、家名を盛り立てた。

参考文献 編集

  • 堀直敬『堀家の歴史』堀家の歴史研究会、1967年
  • 寛政重修諸家譜』巻第七百六十六