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奥行臼駅(おくゆきうすえき)は、北海道野付郡別海町奥行にかつて存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)標津線である。電報略号オユ

奥行臼駅
Okuyukiusu.jpg
奥行臼駅舎(2007年10月)
おくゆきうす
Okuyukiusu
別海 (12.3km)
(11.5km) 厚床
所在地 北海道野付郡別海町奥行
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 標津線
キロ程 36.0km(中標津起点)
電報略号 オユ←ヲユ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度-
6人/日
-昭和56年-
開業年月日 1933年昭和8年)12月1日
廃止年月日 1989年平成元年)4月30日
乗換 別海村営軌道
備考 標津線廃線に伴い廃駅
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廃止前の駅舎(ホーム側から撮影)
(1989年3月)
1977年の奥行臼駅と周囲約500m範囲。上が中標津方面。左中央から駅前道路に向かって別海村営軌道風連線の軌道跡と転車台跡が残っている。道路の手前の建物の辺りが停車場で、さらに貨物用軌道跡が道を横切った辺りからカーブを描いて駅前に向かっているのが見て取れる。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

標津線の廃止に伴い、1989年(平成元年)4月30日に廃駅となった。かつては、別海村営軌道が当駅で接続していた。

駅の構造編集

貨物及び荷物取り扱い廃止までは、島状の1面1線の単式ホームと、駅舎とホームの間に貨物積降線1本、及びホーム外側に厚床側から引き入れた留置線を有した。駅舎は構内の西側(中標津方面に向かって左側)にあって地面に直接建てられ、ホーム中央の駅舎側に設けられた階段へ、線路を横切る形で連絡した。駅舎横の中標津寄りには、ホーム状の貨物積降場が設けられていた。

貨物及び荷物取り扱い廃止後は貨物積降線が撤去され、路線廃止まで本線と留置線の構造であった(現在遺構に立てられている看板に書かれた「貨物引込線」とは、駅舎とホーム間の貨物積降線のことである)。

1963年から1971年まで、別海町上風連まで繋がる殖民軌道風連線(別海村営軌道)の停車場と、そこから駅前を横切って当駅の貨物積降場まで伸びる貨物用線があった。

駅名の由来編集

当駅が所在した地名(奥行)より。地名はアイヌ語の「ウコイキウイ(ukoyki-us-i)」(けんかする・いつもする・所)に由来する[1]。この地で根室ポロモシリ村のアイヌと、厚岸のアイヌが戦をしたとされることによる。

歴史編集

駅周辺編集

現況編集

  • 木造駅舎・詰所と線路が廃止時のまま保存されている。さらに側線を復元敷設している。
  • 貨物ホームの先には、春別駅跡から移築した職員用風呂場が設置された。
  • 駅舎内には運賃表、時刻表が掲示されてあり、来訪記念スタンプが置かれている。
  • 出札窓口のガラスにJRマークのステッカーが若干剥がれかけているものの残っている。その他にも「JR北海道」のステッカーが貼ってあるガラスがある。
  • 駅舎・詰所とホームは、別海町の有形文化財に指定されている[4]
  • 駅近くには、別海村営軌道自走客車機関車貨車が保存されている[5]

脚注編集

  1. ^ アイヌ語地名リスト エン~オニシ P21-30P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月20日閲覧。
  2. ^ “JR3線今月末廃止”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年4月26日)
  3. ^ “道内長大3線廃止 バス転換から1年 天北線 名寄本線 標津線”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1990年5月2日)
  4. ^ a b “旧JR標津線 奥行臼(おくゆきうす)駅舎 別海町有形文化財に指定へ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1990年2月27日)
  5. ^ “せんこん写真館 簡易軌道 再び光? 「産業遺産」選定だが… 多くはサビだらけ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2005年10月26日)

隣の駅編集

北海道旅客鉄道
標津線(支線)
別海駅 - 奥行臼駅 - 厚床駅

関連項目編集

外部リンク編集