女人禁制
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女人禁制(にょにんきんせい[1][2][3][4][5][6]、にょにんきんぜい[1][7])とは、女性に対する社会慣習の一種で、日本で見られるものの総称である。
特に、聖域(社寺、霊場、祭場など)への女性の立ち入りを禁止する慣習についてみられる[3][4]。この意味で隔絶された区域(結界[* 1])を女人結界(にょにんけっかい)といい[8][9]、「女人禁制」と同義で用いられる[5][8]。
この原義から派生して、一般に女性の立ち入りや参加、参入などを禁ずる社会慣習をも指す(歌舞伎などに見られる)。
反対に、「男性の立ち入りを禁じる」ことを男子禁制(だんしきんせい)と呼ぶ。一例として、琉球神道では神に仕えるのは女性とされるため、御嶽に祈りを捧げたり祭祀を行うのは琉球古来より女性祭司「ノロ」の専業であり、基本的に男子禁制である。
概要編集
全ての女性を対象とした恒常的なものと、忌みの概念を背景に月経や出産に関する特定の状態にある女性のみを対象とするものとに大別できる。女人禁制が解かれることは女人解禁などという。
由来編集
日本における霊山などへの女人禁制は、修験道の伝統に基づくとされているものが多い。修験道は仏教(主に密教)に、日本の古来の神道や大陸由来の道教などが習合して成立したものであるため、女性の入山を禁止し始めた理由を明確に知ることは難しい。
仏教の戒律に由来する理由編集
本来の仏教には、ある場所を結界して、女性の立ち入りを禁止する戒律は存在しない。和僧道元の『正法眼蔵』にも、日本仏教の女人結界を「日本国にひとつのわらひごとあり」と批判している箇所があり、法然や親鸞なども女人結界には批判的であった。
しかし、仏教は、性欲を含む人間の欲望を煩悩とみなし、智慧をもって煩悩を制御する理想を掲げている。そのため出家者の戒律には、性行為の禁止(不淫戒)、自慰行為の禁止(故出精戒)、異性と接触することの禁止(男性の僧侶にとっては触女人戒)、猥褻な言葉を使うことの禁止(麁語戒)、供養として性交を迫ることの禁止(嘆身索供養戒)、異性と二人きりになることを禁止(屏所不定戒)、異性と二人でいる時に関係を疑われる行動することを禁止(露処不定戒)など、性欲を刺激する可能性のある行為に関しては厳しい戒律がある。
また修験者は、半僧半俗の修行者であるが、その場合でも、修行中は少なくとも不淫戒を守る必要がある(八斎戒の一つ)。
ちなみに在家信徒も、淫らな性行為は不邪淫戒として禁じられている(五戒の一つ)。また在家者も坐禅や念仏などの修行に打ち込む期間だけは不淫戒を守ることが薦められる。
それらの目的を達成するために、修験道では、男性の修行場から女性を排除する必要性があったと考えられる。逆に女性出家者が入る尼寺は(女性出家者を性暴力などの被害から守る理由で)元々、僧寺(男性出家者の施設)に付属する施設と規定されており、そのため男性を厳格には排除しづらかった。
また仏教では本来、破戒僧が自分の愛人を出家させて身辺に置くことを防ぐため、仏陀を除く出家者は異性の出家者を弟子として得度することは禁じられている。(僧を得度できるのは僧のみ。尼を得度できるのは尼のみ)
日本仏教の黎明期に善信尼ら女性出家者はいた。その後、戒壇の設置に朝廷の許可が必要であった奈良時代以降、鎌倉時代くらいまで、戒壇の設置を許された東大寺や延暦寺などの戒壇が全て男性僧侶を対象としており、女性(尼)の授戒得度が困難であった点との関連も考えられている。
一方で、仏教学者のローリ・ミークスによると、平安後期(12世紀)では、旧仏教の学僧たちが女性に対して想像以上に寛容であり、女性であっても仏道修行が入念に行われていた[10]。仏教の戒律は、上記のように出家者、修行者、在家で求められる戒律がそれぞれ異なり、戒律の内容や解釈、厳格さも各宗派で異同がある。そのため「男子禁制」の尼寺や、山岳部にあっても女人禁制が取られていない寺院も存在する。
神道の血穢による理由編集
神道においては、生物の身体から離れて、流出した血液は「血の穢れ」とみなされる。これは身体の一部が身体から分離したものをケガレとみなす考え方で、頭髪や爪、排泄物などにも同様な観念がみられる、また他の宗教や神話にも類似した観念が存在する。そのため、生理中の女性や産褥中の女性が、神聖とされる場所(神社の境内など)に入ることや、神聖な物(神輿など)に接触することを禁止するタブーが古来よりある。
本来は、女性だけでなく、生傷を負って流血している男性が神域に入ることや、神域での狩猟なども同様な理由で禁止されている。
道教や密教などの神通力信仰編集
一説には古代日本においては、主に道教や密教の影響で、僧侶に対し加持祈祷による法力、神通力が期待されていたためとする説もある。僧侶が祈祷に必要な法力を維持するためには、持戒の徹底が必要であると考られていた。
性欲を起こすと仙人が神通力を失う話としては、『今昔物語』にある久米仙人の話が有名である。
中世における神仏習合編集
上記の仏教と神道、道教などの異なるタブー観が、中世に習合し、山岳の寺院、修験道などを中心として、鎌倉時代頃に今の女人禁制、女人結界のベースとなる観念が成立したものと考えられている。
また、唯識論で説かれた「女人地獄使。能断仏種子。外面似菩薩。内心如夜叉」(『華厳経』を出典とする俗説あり)[要出典]や『法華経』の「又女人身猶有五障」[11]を、その本来の意味や文脈から離れ、「女性は穢れているので成仏できない、救われない」という意味に曲げて解釈し、引用する仏教文献も鎌倉時代頃から増えてくる。(原典にそういう意味はない)
これらをもって、女人禁制は鎌倉仏教の女性観に基づくと説明されることがある。ただし、上記のように法然、道元、日蓮といった鎌倉時代の宗祖達は概ね女人禁制に批判的だった。
その他に、女人禁制の由来と思われる理由編集
また修験道の修行地が、険しい山岳地帯であったためとの見方がある。
古代においては山は魑魅魍魎が住む危険な場所と考えられていた。そのため子供を産む女性は安全のため近づかない、近づいてはならない場所であったとする。そのような場所だからこそ、修験者は異性に煩わされない厳しい修行の場として、山岳を選んだのだといわれている。文明が進んで、山道などが整備されると、信心深い女性が逆に修験者を頼って登山してくるようになり、困った修験者たちが結界石を置いてタブーの範囲を決め、その外側に女人堂を置いて祈祷や説法を行なった。
民俗学者の柳田國男は姥捨山とされた岩木山(青森県)の登山口にも姥石という結界石があることに着目。結界を越えた女性が石に化したという伝説を『妹の力』『比丘尼石』のなかで紹介している。結界石や境界石の向こうは他界(他界#山上他界)であり、宗教者は俗世から離れた一種の他界で修行を積むことによって、この世ならぬ力を獲得すると考えられた。
また、石長比売が女神であったことに代表されるように、古来より日本各地において山そのものが女神であり、嫉妬深いと考えられた地域も多い。女人の入山が禁制されたのは女神の嫉妬を避ける為であるとされる。たとえば『遠野物語』に登場する遠野三山伝説では、早池峰山と六角牛山はそれぞれ3人の女神が住んだ山とされ、長らく女人禁制であった。また熊野三山周辺でも、山は女神で嫉妬深いと考えられているほか、上り子といわれる男たちは松明を掲げて山へ上るが、女たちは闇の中で祈りを捧げて男たちが持ち帰った神火を迎える役割があり、そこには祭事における男女の役割分担の違いがあるとされる。
また別の説では巫女やイタコにみられるように「女性には霊がつきやすい」ため、荒修行が女性には困難であるという説明づけもされることがある。
女人禁制の理由については、上記のような様々な由来や学説が唱えられている。各々の場所には各々の由来が伝えられている。またそれらが歴史的な過程で絡み合い変容していく場合もあり、どれか一つをもって一般論を導き出すことは困難と言える。
祭祀における女人禁制編集
なお、祭りに女人禁制が取り入れられたのは、男尊女卑が広く浸透したとされる江戸時代ないし明治時代以降のことと考えられ、『古事記』には祭りに女性が参加していた記述が見られる。また古代の日本では、女性は神聖な者で神霊が女性に憑依すると広く信じられており、卑弥呼に代表されるように神を祭る資格の多くは、女性にあると考えられていた。
一例として、日本神道の祖形を留る琉球神道の範疇に属する信仰では、沖縄の女性は「神人(かみんちゅ)」、男性は「海人(うみんちゅ)」とされ、おなり神の関係にあるとされる。現代でも女性が祭祀を取り仕切る観念は都市部以外では特に根強く、墓の手当てや風葬のあった時代には洗骨までもが一家の女性の役割であった。
ノロなどの神職が祭祀を行う御嶽(うたき)では、女人禁制とは逆の男子禁制が敷かれており、現在でも御嶽や拝所(うがんじょ)に祈りを捧げたり祭祀を行うのは厳格に男子禁制である。(ただし、単に拝んだり立ち入りまで禁止されている訳ではない)。
「女人禁制」に対する反対編集
明治政府編集
明治5年3月27日(1872年5月4日)、明治政府は、明治五年太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス」[12]により、江戸幕府や寺社が仏教の不邪淫戒(五戒の一つ)や儒教の「男女七歳にして席を同じゅうせず」(『礼記』内則)などを根拠として社会の多くの分野で過剰に徹底していた「女人禁制」を、欧米列強に伍していこう(肩を並べよう)としている近代国家には論外の差別(「陋習」)の一つであるとして禁止した[13]。
この結果、「御一新」された「皇国」(明治日本)では、ほとんどの神社仏閣が過剰な「女人禁制」を解除することとなった。関所の廃止とも相俟って、外国人女性を含め女性も日本国内を自由に旅行・観光・参詣できるようになった。
日本相撲協会の土俵における「女人禁制」編集
女性が行う相撲の由来・課題編集
一部の神事として行われる女相撲、江戸時代から昭和30年代頃まで興行が行われていた女相撲[* 2]と、現在において近代スポーツとして行われている女子相撲は由来が異なる。アマチュア相撲を国際的に普及し五輪競技とするには女子への普及の実績が必要であることから、日本相撲連盟が1996年に連盟の加盟団体として日本新相撲連盟(後の日本女子相撲連盟)を発足させた。そういった経緯から、アマチュア相撲の大会の土俵に女性が上がることができる。
世界大会で優秀な成績を収める選手を収める選手(野崎舞夏星・今日和など)を輩出しており、女子相撲という競技や選手の存在が徐々に認知されはじめている。しかし現状では実業団・プロでの活動を見込めないことから、大学卒業後に全日本のチームから選手が去ってしまうこと、また大学相撲部の選手が国際試合で経験を積んだ30代の海外選手に負けることがあり、大学相撲部卒業後も競技を続けて行く環境を求め、模索を続ける選手も出てきている[14]。
同志社大学卒業後はアイシン精機の相撲部に所属している今日和は、2021年9月にNumber Webの記者が『大相撲の女人禁制と闘う力士』として取材・質問をしていることに対し「大相撲をはじめ、モンゴル相撲やスポーツとしてのアマチュア相撲、奉納相撲など、相撲にはいろんな種類や側面があります。その中で女人禁制というのは、大相撲だけにある考え方なのかな、と私は思っていて。だから私たちは大相撲の土俵に上がるよりまず、オリンピックの土俵に上がりたいね、って話しているんです」と話した[15]。また同月の朝日新聞の取材に対して「私がしているアマチュア相撲と大相撲は別物だと思っているので、大相撲の女人禁制は気にならない。(相撲が)単純に近代スポーツとして発展していくことを望んでいる」と断言している[16]。
日本大学卒業後に相撲部のある会社に就職した奥富夕夏は「女性が相撲していると言うと、大相撲に入りたいのだと思われていることが多いんです。私たちは伝統文化の相撲に意義を唱えたいわけでもありません。ただ、シンプルに競技で結果を出したくて、継続できる練習環境を望んでいます」と話している[14]。奥富は、会社の相撲部の練習と同時に取り組む総合格闘技でも実績を残している[17]。
日本相撲協会の由来・問題編集
日本相撲協会(大相撲)の由来は、江戸時代からの寺社建立・修繕の費用を集めるための「勧進大相撲」であり、もっぱら女人禁制の神社仏閣の境内で行われていた。そのため、土俵上だけでなく観客席含めて全てが「女人禁制」で興行されていた。その後、明治五年に太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス」[12]により神社仏閣の境内への女性の出入りが解禁、女性客が大相撲を観戦することが可能となった[18]。日本相撲協会は現在も観客席を除く土俵の部分だけは「女人禁制」としているが、通常の観客である限りにおいて直接の不利益を被ることが少ないこともあり女性ファンによる反対運動には至っていない[* 3]。女性差別として問題視される事案の発生も発生している[19][20][21][22]ことについては、一部の報道人・政治家・相撲ライターなどが差別禁止の日本国憲法第14条1項を根拠として『伝統』という曖昧な理由で女性を不浄視せず男性と等しく扱うよう求めている[23][24]。
奈良県大峰山の「女人禁制」に対する反対運動編集
明治5年3月27日(1872年05月04日)布告の明治五年太政官布告第98号「神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス」[12]、および、明治5年9月15日(1872年10月27日)布告の明治五年太政官布告第273号「修験宗ヲ廃シ天台真言ノ両本宗へ帰入セシム」[25](いわゆる『修験道廃止令』)にも拘わらず、奈良県南部の大峰山(大峯)の山上ヶ岳の修験者およびその協力者たち(地元住民・信者)は、修験道の霊場であるという事を理由として「女人禁制」を掲げ続けた。
これに対し、女性の入山解禁を求める運動が起こっており、過去に密かにまたは強行登山が行われている[13]。
三本山(聖護院、醍醐寺、金峯山寺)と五護持院(龍泉寺、喜蔵院、東南院、桜本坊、竹林院)は、2000年の役行者1300年遠忌を期して、女人結界を解く意向があった。しかし、1997年の信者・地元との話し合いで猛反発に遭い、1999年に奈良県教職員組合の女性が強行登山を行ったことで、協議は中断となったという[26][27][28]。
2005年11月3日、大峰山の女人禁制に反対する伊田広行、池田恵理子らが結成した「大峰山に登ろうプロジェクト」(以下、プロジェクト)のメンバーは、大峯山登山のために現地を訪れ、寺院側に質問書を提出し、解禁を求めたが不調に終わった。その結果、改めて話し合いの場を設けることで合意して両者解散したが、その直後に問題提起の為としてプロジェクトの女性メンバー池田恵理子を含む3人が登山を強行した。この行為に対し寺院側、反対派地元住民、およびいくつかの報道機関が批判を行った。
プロジェクト側の行動を賞賛する意見編集
- 奈良県大峰山の「女人禁制」は、男尊女卑・女性差別を肯定する象徴であり、男女共同参画理念にも反する悪習である。また、「大峰山」を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」は世界遺産にも登録された人類共有の財産であり、登山道は税金で整備された公道でもあるため、誰もがアクセス可能であるべきである。
女人禁制は堅持すべきとする意見編集
- 「女人禁制」は男性の修験者が性欲に惑わされること無く修行するために存在する制度であり、女性には稲村ヶ岳が女人大峯として提供されている。男尊女卑などの差別を推進する意図はない。宗教的な一例として同じ世界遺産であるアトス山も正教会の修道院として1406年以降は法令によって「女人禁制」となっている。
登山口にある洞川集落には太平洋戦争の終結直後、日本を占領した連合国軍の高官夫人が女人結界の解除を求めて訪れたことがあった。この時、地元の古老が「マズ貴国ノ女性修道院ヲ男性ニ解放サレヨ」と反論して、禁制が維持されたという[29]。
日本の信仰や風習で女人禁制とされている(されていた)場所編集
山岳・霊場編集
仏教・山岳修験道系編集
- 富士山(山梨県・静岡県) - ただし、江戸時代後期より解禁。
- 立山 (富山県)- ただし、1872年(明治5年)より解禁。
- 白山(石川県・岐阜県) - 上に同じ。
- 比叡山(滋賀県・京都府) - 上に同じ。
- 御嶽山(長野県・岐阜県) - ただし、1877年(明治10年)頃より解禁。
- 高野山(和歌山県) - ただし、1904年(明治37年)より解禁[* 4]。
- 出羽三山(山形県) -1997年(平成9年)より解禁。ただし、男女別の修行期間がある。
- 石鎚山(愛媛県) - 現在はお山開きの7月1日のみ女人禁制。
- 大峰山山上ヶ岳(奈良県) - 山体全域が対象で、登山道には大きな看板が立つ。反対運動あり[13]。
- 後山の道仙寺奥の院(岡山県) - 後山中腹にある母御堂から奥の院に至る行者道が女人禁制とされている。登山道は別にあり、後山への登山は女性でも問題ない。
- 蓼科山(長野県) - 山頂に高皇産霊尊が鎮座するが、位の高い天地開闢の神なので、女性登頂が許されなかった[30]。
神道系やその他の山岳信仰系編集
神道系の祭編集
- 田名部まつり(青森県むつ市) - 近年、女性がヤマを曳くことは許されているが、基本的には女人禁制であり、ヤマに乗ることは許されていない。
- 竿燈(秋田市)- 昭和後期から女性も参加するようになったが、竿燈の差し手は男性のみで行う。
- 祇園祭(京都市)の山鉾 - 一部の山鉾には女性の囃子方がいるが、巡行の先頭に立つ長刀鉾などは女人禁制である。
- 博多祇園山笠(福岡県) - ただし、小学生以下の女児は男性同様の扮装(締め込み)で参加を認められる。
- 岸和田だんじり祭(大阪府岸和田市) - 女性がだんじりを曳くことは許されているが、だんじりに乗ることはできない。
- 牛の角突き(新潟県長岡市旧山古志村) - 取組後の牛の引き回しのため、牛持ち(オーナー)である女性の立ち入りが2018年5月4日から解禁[34][35]。
特殊技能者のメンバーシップに基づくもの編集
- 鉱山(山師) - 鉱山や工事中のトンネルでは、労働基準法の女性坑内業務の禁止条項が2006年に改正され、坑内作業に妊産婦や危険有害業務などを除き就労できる事となった[36]。
- 酒蔵(杜氏)- 現在は女性杜氏もいる[37]。
- 大相撲(日本相撲協会)の土俵上 - 断髪式や表彰、地方巡業での勧進元挨拶などで土俵外に檀を設けられること[20]、ちびっこ相撲の一時休止など。
- 2018年4月4日、京都府舞鶴市での巡業で、挨拶に立った舞鶴市長多々見良三が土俵上で倒れた。この際、救急医療のため土俵に上がった女性医療関係者に対して土俵を降りるようアナウンスが行われた。八角理事長が謝罪をしており、アナウンスを行った三段目格行司は同年7月に辞職している[19][38][22]。詳細は「「女性は土俵から降りてください」騒動」を参照
- 2018年より地方巡業での「ちびっこ相撲」が休止されている[39][21] 。関取が女子の顔に傷を負わせることについて心配の声があがったこと、裸にまわし姿の関取たちから『小学生でも高学年の女子が相手となると、どうしてよいか』と戸惑う声があったこと、参加した男子の両親から怪我をしたとの訴えが2件あったことが理由であるという[40]。2019年5月場所前の力士会では、復活を求める複数の力士の声があった。力士会の会長を務めている横綱鶴竜も「やっぱり巡業での要望が1番多い。お客さんと触れ合うことや相撲界の未来を考えたらね」と話しており、巡業部に要望をしている[41][42][43]。
- 2018年4月4日、京都府舞鶴市での巡業で、挨拶に立った舞鶴市長多々見良三が土俵上で倒れた。この際、救急医療のため土俵に上がった女性医療関係者に対して土俵を降りるようアナウンスが行われた。八角理事長が謝罪をしており、アナウンスを行った三段目格行司は同年7月に辞職している[19][38][22]。
女人禁制とされている(されていた)芸能編集
- 歌舞伎 - 子役は慣習的に初潮が来る前までの出演が認められている。また現状として、厳密な女人禁制とはなっていない。
- 松竹による興行では、1993年に当時16歳であった松たか子(2代目松本白鸚の次女)が「文七元結」のお久役で歌舞伎座に出演し、2007年には森光子が新橋演舞場10月公演「錦秋演舞場祭り 中村勘三郎奮闘」で18代目中村勘三郎と共演している[44]。2017年12月には寺島しのぶ(7代目尾上菊五郎の長女)が11代目市川海老蔵が企画する実験的な舞台である六本木歌舞伎「座頭市」に出演している。また2代目中村獅童がバーチャルアイドル初音ミクと共演している超歌舞伎には2019年の南座公演より藤間流(勘十郎派)の女性舞踊家が出演しており、超歌舞伎ファンがSNSの交流のなかで「花びら屋」という屋号をつけている[45]。
- 1931年に松竹を脱退した4代目河原崎長十郎・3代目中村翫右衛門・中村亀松(のち鶴蔵)らが設立した前進座の歌舞伎演目には女性が出演しており、2016年5月の国立劇場での「番町皿屋敷」では今村文美がヒロイン役を演じた[46]。
- 1983年には7代目尾上梅幸監修のもと、さとうしょう(劇作家・脚本家・演出家、大阪芸術大学短期大学部教授[47])が女性出演者のみで構成された劇団「女歌舞伎 尚」を旗揚げした。大歌舞伎から学び、女性が演じるためにアレンジされた演目を「美しすぎる時代劇」として上演を重ねている[48]。素人歌舞伎では女性も舞台に立っており、女歌舞伎の団体も存在する[49]。
- 歌舞伎役者(高弟・家族)が創始、また代々の家元を歌舞伎役者(家族)が務める日本舞踊の流派があり[* 5]、日本舞踊家として活動する歌舞伎役者の娘もいる。二代目松本白鸚の長女と次女が松本流の名取であるほか、市川流では九代目市川團十郎の長女と次女が二世・三世家元を務めている。現在の総代の市川壽紅(十一代目市川團十郎の長女)は、歌舞伎の振付師としても活動している[* 6][* 7]。また、新派の公演には歌舞伎俳優が客演することがあり[50]、その縁で劇団新派には歌舞伎役者の娘(波乃久里子・春本由香など)や歌舞伎役者からの転向者(河合雪之丞、喜多村禄郎など)が在籍している。
日本以外の類似したタブーがある(あった)場所編集
- 古代ギリシャのオリンピア競技場(古代オリンピック) - 既婚の女性のみ観戦禁止。未婚女性は出場はできないが観戦は可。
- ムエタイ - 2大聖地と言われるラジャダムナン・スタジアムとルンピニー・スタジアムでは女性はリングに上がれない。
- オックスフォード大学 - かつてオックスフォードは女人禁制で、教授は生涯独身と決められていた。
- 会員制ゴルフ場(会員資格や施設使用権等を男性に限定しているゴルフクラブ) - 小金井カントリー倶楽部などの歴史の古いゴルフ場が多い。かつては欧米のセント・アンドリュース オールドコースやオーガスタ・ナショナルGC、ミュアフィールドでも適用されていたが、現在は女性にも開放している。
- 原子力潜水艦 - 2010年代に入ると女性の乗組員も認められるようになったが、イギリス海軍、アメリカ海軍ともに女性が関係する不祥事が発生している[51][52]。
- フリーメイソンの至聖所 - 会員資格も五体満足で文盲でない成人男子に限定されている。
- チャイティーヨー・パゴダ - ツアースポットとしても有名なゴールデンロックの付近には女人禁制の場所がある。
- 修道院 - 正教会・カトリックには、修道請願を立て禁欲的な修道生活を送る信者(修道士)がいる。
- アトス山(ギリシャ) - 各正教会の修道院が置かれ、アトス自治修道士共和国としてギリシャ政府から治外法権を認められた国家である。女性は難民や漂流した場合を除き、入国は勿論、岸から500メートル以内に近づくことも許されない。家畜についても、ネコ以外はメスの持ち込みを禁じられている。
- カトリックの修道院 - 「社会の必要に応えるための活動」をしている活動修道会の修道院には許可があれば部外者が入ることが出来る。しかし、「修道院の中での祈りと労働」を中心とした生活を送る観想修道会(隠世修道院・隠修所)の場合は、修道会の会規で厳しい「教皇禁域」(クラウズーラ)が定められている。修道院(男子・女子とも)の聖堂より内側は、修道院の修道者以外の立ち入りや修道者が禁域の外に出ることには教区司教の許可が必要となる[53][54][55][56]。(選挙や医療上の理由などを除く)
- ローマ教皇の私室 - 1978年、教皇ヨハネ・パウロ1世が自室で急逝したのを発見したのは修道女であったが、個人秘書が第一発見者であると発表されている。カトリック司祭・修道者は独身制であり、聖職者の私室に修道女が立ち入ってはならないとの理由からとみられる。なお、現在は厳密に守られてはいない。
その他編集
- 一時的に女人禁制とする例として、武家作法では、戦場に出陣する3日前か、あるいは7日前に女を断ち、精力を蓄えてから出発した(実質上、戦に出る数日前の武士周辺は女人禁制となる)。
- 上泉信綱伝の『訓閲集』(大江家の兵法書を戦国風に改めた兵書)巻一「発向」に記されている事として、「陣中に女人を入れる事、禁制なり」としており、戦時中も女人禁制が取られている(前述と合わせると、戦前1週間から戦時にかけて禁制という事になる)。戦の中では、予測し得ない突発的な戦闘や奇襲も起こり得る。ただし、圧倒的大軍を率いた小田原征伐の豊臣秀吉が、側室の淀殿たちを帯同した例外(秀吉は生まれもっての武家でないため)もあった。また籠城戦や逃避行では、武将が妻らと共に居た例は多い。
男子禁制編集
女人禁制とは反対に「男性の立ち入りを禁じる」ことを男子禁制(だんしきんせい)と呼ぶ。
信仰編集
宗教、信仰における事例として、沖縄の御嶽に祈りを捧げたり祭祀を行うのは、沖縄古来より女性祭司「ノロ」の専業であり、基本的に男子禁制である。
ただし、現代においては、祭司の礼拝中を除き、立ち入りまで禁じられてはいない場合も多いがそれも観光向けの措置である(斎場御嶽など)。祭司に管理されている御嶽の核心となる聖域は囲いにより立ち入り禁止、男子禁制である。
また、そもそも御嶽は、囲いがなくとも宗教上、男女問わずみだりに立ち入ってはならない。そもそも私有地である場合も多く、村落固有の聖地であるため、礼式を守れば基本的に公衆が立ち入れる日本本土の神社とは質的に異なる。
沖縄の一般家庭に多い「ヒヌカン」も、一般的には男性が拝むのは禁忌であり、男子禁制である。
このような男子禁制は、そもそも母系制社会では女性が祭祀を司り、また女王として君臨する場合もある(卑弥呼、おなり神、ヒメヒコ制など)事に由来すると言われる。
後宮編集
国王などの後宮、例として江戸幕府の大奥や琉球・首里城や今帰仁城の御内原(うーちばる)も男子禁制であった。
後宮への王族以外の男子禁制は世界的に広くみられる。中国の王朝では宦官が徹底され、後宮を含む宮中全般の事務、庶雑務、給仕から警備、諜報活動、王族の教育係、火砲の管理まで宦官がこなした。
参考文献編集
脚注編集
注釈編集
- ^ 元々「結界」は仏教用語であるが、神道などでも用いられるので、「女人結界」も仏教に限った用語ではない。
- ^ 興行として昭和30年代後半まで続いた女相撲は、終戦後の娯楽の多様化や女子プロレスの登場により廃れている。
- ^ 実際に女性が土俵に上がる可能性が考えられるのは、断髪式で国技館の使用を許される力士の断髪式・優勝力士の表彰(知事)・地方巡業での勧進元挨拶・ちびっこ相撲などである。なお、相撲部屋でのイベントや豊ノ島杯(高知県・富山県)などでは女子の参加は受け入れられている。
- ^ 女性が参詣できた同じ真言宗の室生寺が「女人高野」と呼ばれた。
- ^ 市川流、尾上流、坂東流(志賀次派)、藤間流(勘右衛門派、紫派)、松本流など。
- ^ 十二代目市川團十郎の長女は日本舞踊家で女優の四代目市川翠扇、十一代目市川海老蔵の長女は日本舞踊家の四代目市川ぼたんである。
- ^ 歌舞伎俳優の血筋ではないが、藤間流(勘十郎派)の三世宗家(7世藤間勘十郎)であった3世藤間勘祖(藤間高子)は、長男の8世藤間勘十郎とともに歌舞伎舞踊の振付師として活動している。
出典編集
- ^ a b 石田瑞麿『例文仏教語大辞典』小学館、1997年2月、848頁。ISBN 978-4095081113。
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