女性』(じょせい)は、かつて存在した日本の月刊誌である。大阪の中山太一率いる「クラブ化粧品」の中山太陽堂(現クラブコスメチックス)傘下の出版社「プラトン社」が、大正末年に発行、「阪神間モダニズム」の勃興に寄与したことで知られる。

女性
ジャンル 女性誌文芸誌
読者対象 近代女性
刊行頻度 月刊(毎月1日発行)
発売国 日本の旗 日本
言語 日本語
出版社 プラトン社
発行人 松阪青渓
編集長 小山内薫
刊行期間 1922年4月(1922年5月号)
- 1928年4月(1928年5月号)
姉妹誌苦楽
特記事項 中山太陽堂ハウスオーガンとして発行される予定だった
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略歴・概要 編集

1922年(大正11年)、中山太陽堂は、同社の顧問に自由劇場松竹蒲田撮影所前所長の小山内薫を迎え、出版社「プラトン社」を設立した。経営は中山の実弟・中山豊三であった。小山内を編集長に、中山太陽堂から出向させた図案家(イラストレーター)の山六郎に装丁やタイトルロゴ、扉絵等のヴィジュアルワークを担当させ、同年4月に「5月1日付」で、創刊となった[1]。おもな執筆者には、泉鏡花谷崎潤一郎武者小路実篤大佛次郎与謝野晶子[2]

タイトルロゴの「女性」の書体は、山の考案によるものである。この書体は一世を風靡し、まもなく無声映画の看板やのぼり旗に多用される人気書体となる。山がアール・デコ調の表紙画や装丁を、翌年からは山名文夫もカットを手がけ、山名の同誌での活動は、のちに資生堂で開花することになる。

1923年(大正12年)には、編集者として直木三十五川口松太郎、図案家として山名、岩田専太郎らが同社に入社し、同年12月には雑誌『苦楽』(第1期)が創刊している[2]

『女性』は、『苦楽』とともに、プラトン社が廃業する1928年(昭和3年)5月まで発行された[2]

その後、長らく「幻の雑誌」と呼ばれ、全体を目にすることはできなかったが、休刊後60年の歳月を経て、1991年(平成3年)9月 - 1993年(平成5年)9月、鶴見俊輔監修、津金澤聡廣山本洋小山静子解説で、全72冊が復刻され、日本図書センターから全6回で配本された。価格は揃本体600,000円であった。

ビブリオグラフィ 編集

復刻版 編集

  1. 第1巻第1号 - 第4巻第5号、1922年(大正11年)5月1日 - 1923年(大正12年)11月1日発行
  2. 第5巻第1号 - 第6巻第6号、1924年(大正13年)1月1日 - 同年12月1日発行
  3. 第7巻第1号 - 第8巻第6号、1925年(大正14年)1月1日 - 同年12月1日発行
  4. 第9巻第1号 - 第10巻第6号、1926年(大正15年)1月1日 - 同年12月1日発行
  5. 第11巻第1号 - 第12巻第6号、1927年(昭和2年)1月1日 - 同年12月1日発行
  6. 第13巻第1号 - 第13巻第5号、1928年(昭和3年)1月1日 - 同年5月1日発行

関連事項 編集

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  1. ^ 「高畠華宵大正ロマン館」公式サイト内の記事「山六郎」の記述を参照。
  2. ^ a b c クラブコスメチックス公式サイト「資料室」リンク先の記述を参照。