女流新人賞(じょりゅうしんじんしょう)は、1958年、三枝佐枝子を編集長とする『婦人公論』を発表の場として中央公論社が新設した応募型新人文学賞。1956年創設の中央公論新人賞に続くもので、1997年第40回まで続いて廃止された。

第2回受賞作は、武智鉄二の妻だった、シナリオ作家の西村みゆきの「針のない時計」だったが、同作が『婦人公論』誌上に発表されると、部分的にウィリアム・フォークナーの作品と同じ文章があると指摘を受け、受賞が取り消され、二位だった南部きみ子の作品が受賞作となった。

第30回受賞の北原リエは元にっかつロマンポルノ女優であり、また第38回受賞(1995年)の「空を失くした日」は阪神・淡路大震災を描いて話題となった。

受賞作一覧 編集

  • 第1回(1958年) 有賀喜代子「子種」
  • 第2回(1959年) 南部きみ子「流氷の街」
  • 第3回(1960年) 田中阿里子「鱶」
  • 第4回(1961年) 片岡稔恵「チャージ」
  • 第5回(1962年) 宮尾登美子「連」(『影絵』所収)
  • 第6回(1963年) 丸川賀世子「巷のあんばい」
  • 第7回(1964年) 乾東里子「五月の嵐」
  • 第8回(1965年) 帯正子「背広を買う」
  • 第9回(1966年) 鈴木佐代子「証文」
  • 第10回(1967年) 杜香織「雪花」
  • 第11回(1968年) 山口年子「集塵」
  • 第12回(1969年) 島さち子「存在のエコー」
  • 第13回(1970年) 該当作なし
  • 第14回(1971年) 来島潤子「眩暈」
  • 第15回(1972年) 該当作なし
  • 第16回(1973年) 稲葉真弓「蒼い影の傷みを」
  • 第17回(1974年) 該当作なし
  • 第18回(1975年) 該当作なし
  • 第19回(1976年) 中山茅集子「蛇の卵」、山下智恵子「埋める」
  • 第20回(1977年) 中山登紀子「舫いあう男たち」
  • 第21回(1978年) 該当作なし
  • 第22回(1979年) 野島千恵子「日暮れの前に」、伊藤光子「死に待ちの家」(のち編集工房旅と湯と風から刊行)
  • 第23回(1980年) 該当作なし
  • 第24回(1981年) 須山ユキヱ「延段」(菁柿堂より刊行)
  • 第25回(1982年) 田口佳子「箱のうちそと」
  • 第26回(1983年) 新田純子「飛蝶」(青弓社より刊行)
  • 第27回(1984年) 村上章子「四月は残酷な月」
  • 第28回(1985年) 田中千佳「マイブルー・ヘブン」、西本陽子「ひとすじの髪」
  • 第29回(1986年) 北村満緒「五月の気流」、丸山史「ふたりぐらし」
  • 第30回(1987年) 北原リエ「青い傷」
  • 第31回(1988年) 朝比奈愛子「赤土の家」
  • 第32回(1989年) 杉本晴子「ビスクドール」(『穴』読売新聞社所収)
  • 第33回(1990年) 片山ゆかり「春子のバラード」(銀河書房より刊行)、舞坂あき「落日の炎」
  • 第34回(1991年) 柏木抄蘭「ブッダの垣根」(『駱邏の女』所収、編集工房ノアより刊行)、酒井牧子「色彩のない風景」
  • 第35回(1992年) 牧野節子「水族館」
  • 第36回(1993年) 有砂悠子「定数」
  • 第37回(1994年) 維住玲子「ブリザード」(中央公論社刊)
  • 第38回(1995年) 岩橋昌美「空を失くした日」(同)
  • 第39回(1996年) リンゼイ美恵子「答えて、トマス」(新風舎から刊行)
  • 第40回(1997年) 矢口敦子「人形になる」(中央公論社刊)

外部リンク 編集