女王丸遭難事件(じょうおうまるそうなんじけん)は、1948年(昭和23年)1月28日大阪港-多度津港間を結んでいた連絡船女王丸(400トン)が触雷により沈没した事件。単に女王丸事件とも呼ばれている。

女王丸遭難事件
収容された女王丸の乗員・乗客の遺体
日付 1948年1月28日
時間 午前3時
場所 岡山県牛窓町(現・瀬戸内市)沖
死者・負傷者
死者・行方不明183人(188人とも)
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女王丸は、関西汽船が所有していた1904年(明治37年)に進水した[要出典]船で長さ48.9m、速力10ノット、乗客定員366人。

概要 編集

1948年1月27日大阪港から出港して神戸港に寄港、瀬戸内海を岡山、小豆島、多度津へと向かっていた女王丸が、翌1月28日午前3時頃、岡山県牛窓町(現瀬戸内市)沖合で、第二次世界大戦中にアメリカ軍が敷設した機雷に接触。わずか20分-30分程度で沈没した。乗客269人、乗員35人のうち154人が救助された。岡山県史では、死体収容20人・行方不明179人とあるが資料によって数が異なる[1][2]。現地では、それ以前も第二日航丸(1947年7月)、鳩山丸(1947年9月)が触雷により沈没した海域であった[3]

脚注 編集

  1. ^ 「死者行方不明者百四十余名 女王丸触雷沈没」『朝日新聞』昭和23年1月29日2面
  2. ^ 『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、では死者22人、行方不明161人とされている
  3. ^ 昭和23年1月に牛窓沖であった海難事故(女王丸遭難事件)について知りたい”. 岡山県立図書館. 2020年2月24日閲覧。