好畤県(こうし-けん)は、中華人民共和国陝西省にかつて設置された県。現在の咸陽市乾県陽洪鎮好畤村一帯に相当する。

概要編集

戦国時代には好畤邑の名称が記録されている。秦朝により内史の下に好畤県が設置された。紀元前206年秋に、もとの武将で散関の守将の章平(章邯の弟)が姚卬とともに、上将軍韓信と戦って、その武将の紀信を討ち取っている[1]

漢代になると前104年太初元年)に右扶風に移管されている。後漢の時代になるといったん廃止されたが、西晋元康年間に設置され扶風郡に属した。南北朝時代になると487年太和11年)に扶風郡の郡治とされたが、574年建徳3年)、北周により廃止され莫西県に統合されている。

唐朝になると647年貞観21年)に好畤県(現在の咸陽市永寿県店頭鎮好畤河村一帯)が再設置され雍州の管轄とされた。1264年至元5年)、元朝により廃止され乾州に統合された。

脚注編集

  1. ^ 史記』高祖功臣侯者年表第六