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妻木 煕子または明智 煕子[注釈 1](つまき ひろこ、あけち ひろこ、生年不詳 - 天正4年(1576年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性明智光秀正室[注釈 2]。ただし「煕子」という名前は、三浦綾子の小説『細川ガラシャ夫人』で広く知られるようになったものであり、それ以前に知られていた光秀の室の名前は「お牧の方」または「伏屋姫」であって、確かな史料でその名前を確認することはできない。『絵本太閤記』「照子」という名前は、父親とされる妻木範熙の名前に由来するのであろうが、その際に「煕」をよく似た「照」と誤ったものか。「煕子」は、現代になってから言われるようになった俗称とみられる。

子については俗説が多くあり、もうけたとされる3男4女の内、母は別であるという異説があるものを含むが、それぞれ長女が明智光春(秀満)の室、次女が明智光忠の室、三女・珠(細川ガラシャ)が細川忠興の室、四女が織田信澄の室となり、嫡男十兵衛光慶(千代寿丸)、次男の十次郎光泰、三男に乙寿丸がいたという。

目次

生涯編集

 
西教寺の墓所

生年不詳ながら、一説に享禄3年(1530年)頃[1]、長女として生まれたといわれる。『細川家記』に妻木勘解由左衛門範煕の女とあるのは『明智軍記』などに拠るものであろうが、細川忠興の室の母であることから一応この所伝は信じても良いとされている[2]。また、妻木広忠を父とする説もあるが、典拠となる史料は不明であり俗説の域を出ない。

夫婦仲は非常に良かったとされ、「結婚直前に疱瘡にかかり、左頬にその後が残ってしまった煕子を光秀は気にせずに迎えた」、「弘治2年(1556年)、斉藤義龍によって明智城が落とされると、光秀は身重の煕子を背負って越前へ逃亡した」などの逸話がある[3]

その後、光秀は長良川の戦い斎藤道三に与したため、その跡を継いだ斎藤義龍に攻められ、本拠を失い浪人。

美濃から越前に移り、朝倉義景に仕えることになるが生活は苦しく、そのような中、連歌会の催しを光秀が担当することになった。酒宴の用意に苦労する光秀をみかねた煕子は、自分の黒髪を売ることで費用を工面したと伝わる[4]元禄2年(1689年)に、江戸時代俳諧師・松尾芭蕉が、門弟の山田又玄の邸宅で、その妻に宛てて詠んだ句「月さびよ、明智が妻の、咄(はなし)せむ」の元ネタであり、芭蕉は丸岡に訪れた際に称念寺に伝わるこの逸話を聞いたと考えられる[4]

天正4年10月14日、煕子は病気になり、光秀は平癒の祈祷吉田兼見に依頼している(『兼見卿記』)[2]。10月24日には平癒したので、非在軒という者が銀一枚を持参して礼に行っている[2]。11月2日には、吉田兼見が煕子の病気見舞のために光秀の京都の宿所に行き光秀と面会をしている[2]


天正4年11月7日(1576年11月27日)[1]または6月7日(7月6日)[5]に死去。享年は、46または36、42とも言う。

戒名は福月真祐大姉。滋賀県大津市の明智氏、妻木氏の菩提寺である西教寺に墓がある。光秀が重病となった際の看病疲れが元で病死したという。しかし、『明智軍記』によると天正10年(1582年)の坂本城落城のときの言動を記し、年齢48歳で死去としているがこの説は信用できないとされている[2]

関連作品編集

テレビドラマ
舞台
  • ささら笹舟―明智光秀の光と影― (2000年宝塚歌劇団、宝塚バウホール、演:紺野まひる
  • 本能寺オテロ(2008年2月14日 - 12月17日、K.B.S.Project、築地本願寺ブディストホール、演:木嶋のりこ
歌舞伎
映画
TRPGリプレイ
小説
  • 三浦綾子『細川ガラシャ夫人』 主婦の友社 1975 のち新潮文庫

脚注編集

注釈編集

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  1. ^ 妻木煕子も明智煕子も両方とも現代風の俗名であり、当時は女子名をこのように呼ぶ習慣はなかった。
  2. ^ 煕子以前には山岸光信の娘・千草に、光秀の庶長子・作之丞光重を産ませたという説もある。これは密通であったために、この子は山岸姓を名乗り、郷士となった言う。

出典編集

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  1. ^ a b 『西教寺塔頭実成坊過去帳』
  2. ^ a b c d e 高柳 1958, p. 274.
  3. ^ 柴 2019, p. 116.
  4. ^ a b 柴 2019, p. 117.
  5. ^ 『細川家譜』による。

参考文献編集

  • 黒川真道 国立国会図書館デジタルコレクション 『美濃国諸旧記・濃陽諸士伝記』 国史研究会〈国史叢書〉、1915年http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948838/96 国立国会図書館デジタルコレクション 
  • 『人物日本の女性史』第4巻『戦国乱世に生きる』 集英社 1977年
  • 上総英郎編 『細川ガラシャのすべて』 新人物往来社、1994年。ISBN 4404021100 
  • 柴裕之 編著『図説 明智光秀』戎光祥出版、2019年。
  • 高柳光寿『明智光秀』吉川弘文館〈人物叢書〉、1958年。

関連項目編集