姜燦(강찬、かん さん)は、朝鮮時代の官吏である。

経歴 編集

1589年(宣祖22年)正言、持平、1591年礼曹正郎・正言を過ごし壬辰の乱が起こると咸鏡道召募使・端川郡守・同副承旨・右副承旨・左副承旨・右承旨・黄海監司・慶尚左道観察使・黄海兵使・兵曹参議などの官職を務め、活躍し親喪にあったが、急に起復させて官職に出てくるようにした。1598年(宣祖31年)江界府使・海州牧使・兵曹参知・左承旨・兵曹参議・吏曹参議などを経て、1602年驪州牧使に制守されたが身柄を理由に辞職した。また、金長生と交遊した。

関連項目 編集

参考 編集