姦淫
姦淫(かんいん)とは、性に関わる不道徳の事である。多くの宗教において、姦淫は罪悪とされる。姦淫の意味は宗教によって異なる。
ユダヤ教
編集旧約聖書に神がモーセに与えられたと書かれてある十戒で「姦淫してはならない」と命じられている。旧約聖書の司法律法の規定では姦淫の罪に死刑が定められており、処女でない未婚女性、男女の不倫、男性同性愛は死刑である[1]。モーセの時代、姦淫は死刑になるため、離婚ではなく、死刑によって結婚が終了した[2]。
旧約聖書では、国あるいは各コミュニティは「神と婚姻の契約を結んだ娘」と捉えられ、「シオンの娘」等と表現される。ヘゲモニーが奪われ、他教への信仰に目覚めるイスラエルは、姦淫を犯したとされ、エゼキエル書16章、23章では、口をきわめて痛罵されている。また、ヘブライ語では、男性が既婚女性を誘って行う行為が「ナーアフ」既婚女性が男性を誘惑する行為を「ザーナー」と言うが、エゼキエル書16章30節で「大娼婦」と痛罵されるエルサレムが32節で「ナーアフを行う」とある。また、エゼキエル書23章4節で、サマリアがオホラ(天幕を持つ女)、エルサレムがオホリバ(我が天幕は彼女の中に)という名で表現されるが、いかなるニュアンスの蔑称であるかは不明である。
キリスト教
編集新約聖書においては、「姦淫」に関してのイエス・キリストの言動で矛盾した記述がある。
マタイによる福音書では、「性的な目で女性を見ることは姦淫の罪にあたる」「姦淫の罪を犯すくらいなら目玉をくり抜いた方が良い」とイエスは説いたという。高等批評の立場からは、イエスはヘレニズム世界でギリシア哲学(キュニコス派)の影響を受け、禁欲を是とした哲学者だったという説もある(キュニコス派#キリスト教との関連)。
- マタイによる福音書
- マタイ 5:27 - 『姦淫するな』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
- マタイ 5:28 - しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。
- マタイ 5:29 - もしあなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である。
「ヨハネによる福音書」では、イエスは姦淫への寛容を説いたという。そこでは、イエスはレビ記および申命記にある律法[3][4]を否定して、姦淫の禁止を許される比較的軽微な戒律として相対化し、また死刑を姦淫より大きな罪とみなしている。
- ヨハネによる福音書
- ヨハネ 8:3 - すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、
- ヨハネ8:4 - 「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。
- ヨハネ 8:5 - モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。
- ヨハネ 8:6 - 彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。
- ヨハネ 8:7 - 彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
- ヨハネ 8:9 - これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。
- ヨハネ 8:10 - そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
- ヨハネ 8:11 - 女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。]
カトリック教会は婚前交渉を禁じている[5]。また、福音派の教会においても婚前交渉は禁じられる[6][7][8][9]。
男性が思いで情欲の罪を犯すことはよく指摘されることであり[10]、また、女性の情欲の罪は感情であるとして悔い改めが要求される[11]。
脚注
編集- ^ 『聖書ハンドブック』聖書図書刊行会
- ^ マーティン・ロイドジョンズ『山上の説教』上「離婚についてのキリストの教え」p.390 いのちのことば社
- ^ :レビ記 20:10
- ^ 申命記 17:5
- ^ サカイタカコ「本物の性と愛の選択を一若い世代へのメッセージ」2021年1月22日、『日本プロライフ ムーブメント』
- ^ 高校生聖書伝道協会『クリスチャン・ライフQ&A』いのちのことば社
- ^ 尾山令仁『結婚の備え』いのちのことば社
- ^ チャールズ・スウィンドル『性といのちの問題』いのちのことば社
- ^ 高木実『生と性-創世記1-3章にみる「男と女」』いのちのことば社
- ^ 平野洋子「クリスチャン女性が陥る性的誘惑とは」 月刊『いのちのことば』2007年9月号
- ^ シャノン エスリッジ著『あなたはどこに愛を探していますか?』いのちのことば社 ISBN 4264025508
- ^ 『公教要理』