威仁親王妃慰子
威仁親王妃慰子(たけひとしんのうひ やすこ、1864年3月15日(文久4年2月8日) - 1923年(大正12年)6月29日)は、日本の皇族。有栖川宮威仁親王の妃。有栖川宮家最後の皇族である。
威仁親王妃慰子 | |
---|---|
![]() | |
身位 | 親王妃 |
敬称 | 殿下 |
出生 |
1864年3月15日![]() |
死去 |
1923年6月29日![]() |
配偶者 | 有栖川宮威仁親王 |
子女 |
績子女王 栽仁王 實枝子女王 |
父親 | 前田慶寧 |
略歴編集
加賀藩最後の藩主の侯爵前田慶寧の四女で、1880年(明治13年)に威仁親王妃となった。漢学や和歌、絵画、書道などに通じ、特に有栖川流書道を極めていた。明治天皇の信任が厚い威仁親王とともに皇室に仕え、1889年(明治22年)から翌年にかけては威仁親王の欧米視察旅行にも同行した。績子女王、栽仁王、實枝子女王の一男二女をもうけたが、績子女王と栽仁王はともに夭折、實枝子女王は徳川慶久に嫁いだため、慰子妃の薨去を持って有栖川宮家は断絶した。のちに有栖川宮家の祭祀は大正天皇の第三皇子・高松宮宣仁親王がこれを継承したが、こちらも2004年(平成16年)に同親王妃・喜久子の薨去をもって断絶した。
栄典編集
- 1888年(明治21年)11月1日 - 勲一等宝冠章[1]
- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[2]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 明治三十七八年従軍記章[3]