孝全成皇后(こうぜんせいこうごう、満州語:ᡥᡳᠶᠣᠣᡧᡠᠩᡤᠠ
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転写:hiyoošungga gemungge šanggan hūwangheo)は、道光帝の3番目の正室・皇后咸豊帝の母。満洲鑲黄旗の出身。姓はニオフル(鈕祜禄)氏(Niohuru hala)。

孝全成皇后
清朝皇后
『孝全成皇后朝服像』
在位 道光14年10月18日 - 道光20年1月11日
1834年11月18日 - 1840年2月13日

別称 孝全慈敬寛仁端愨安恵誠敏符天篤聖成皇后
出生 嘉慶13年2月28日
1808年3月24日
死去 道光20年1月11日
1840年2月13日
順天府紫禁城鐘粋宮
埋葬 慕陵
配偶者 道光帝
子女 咸豊帝
端順固倫公主
寿安固倫公主
氏族 ニオフル(鈕祜禄)氏
父親 頤齢(イリン)
母親 ウヤ氏(烏雅氏)
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経歴 編集

蘇州府知府の頤齢(イリン)の娘である。道光帝より26歳年下であった。道光元年(1821年)、后妃選定面接試験「選秀女」を受けて合格し、「全貴人」に封ぜられた。翌年、全嬪に進んだ。3人の子供を産み、全妃、全貴妃に進み、全皇貴妃にいたった。道光14年(1834年)10月、皇后に立てられた。

皇太后(道光帝の継母)と不和となったという。道光20年(1840年)正月11日、円明園で薨去した。「孝全」とされた。その後、夫の諡を重ねて「孝全慈敬寛仁端愨安恵誠敏符天篤聖成皇后」と加諡された。

子女 編集

  • 端順固倫公主
  • 寿安固倫公主
  • 奕詝(咸豊帝

伝記資料 編集