孝愍皇后
孝愍皇后(こうびんこうごう)は、明の建文帝の皇后。姓は馬氏。
馬皇后 | |
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明の皇后 | |
在位 |
建文元年2月13日 - 建文4年6月13日 (1399年3月20日 - 1402年7月13日) |
別称 | 孝愍温貞哲睿粛烈襄天弼聖譲皇后 |
死去 |
建文4年6月13日 (1402年7月13日) 応天府、紫禁城 |
配偶者 | 建文帝 |
子女 | 朱文奎 |
父親 | 馬全 |
経歴
編集鳳陽(洪武帝の出身地)の人。光禄少卿の馬全の娘として生まれた。洪武28年(1395年)、皇太孫朱允炆(のちの建文帝)の妃となった。
建文元年あるいは洪武32年(1399年)2月、建文帝が即位し、皇后に立てられた。靖難の変で建文5年(1402年)に燕王(永楽帝)軍が南京を陥落させた際、皇后は自ら火中に身を投じて亡くなった。
子女
編集- 朱文奎(太子)
伝記資料
編集- 『明太宗実録』
- 『南明史』