孝敬憲皇后(こうけいけんこうごう、満州語:ᡥᡳᠶᠣᠣᡧᡠᠩᡤᠠ
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 転写:hiyoošungga ginggun temgetulehe hūwangheo、1679年5月13日 - 1731年10月29日)は、雍正帝の皇后。満洲正黄旗の出身。姓はウラナラ(烏喇那拉)氏。父は内大臣のフィヤング(費揚古)[1]、母はドロイ・ゲゲ(doro i gege、多羅格格)[2]のギョロ氏(太祖ヌルハチの5世孫)。

孝敬憲皇后

経歴編集

康熙30年(1691年)、胤禛(後の雍正帝)に嫁ぎ、嫡福晋(正室)となった。男子を1人産んだが早世した。

雍正帝が即位すると、皇后に立てられた。雍正9年9月29日(1731年10月29日)、薨去し、「孝敬」とされた。その後、夫の諡を重ねて「孝敬恭和懿順昭恵荘粛安康佐天翊聖憲皇后」と加諡された。

男子編集

  • 弘暉(端親王、1697年 - 1704年)

登場作品編集

伝記資料編集

脚注編集

  1. ^ 鄭親王ジルガランの弟のフィヤング中国語版順治帝孝献端敬皇后中国語版の弟でドンゴ(董鄂)氏中国語版フィヤング中国語版とは別人。
  2. ^ 宗室出身者の貴女の封号。