孝文廃皇后

北魏の孝文帝の皇后

孝文廃皇后(こうぶんはいこうごう、生没年不詳)は、北魏孝文帝の最初の皇后(廃皇后)。姓は馮氏は不詳[1]

馮皇后
北魏の皇后
在位 493年4月 - 496年7月

別称 孝文廃皇后
配偶者 孝文帝
氏族 馮氏(北燕宗室
父親 馮熙
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経歴 編集

馮熙の娘として生まれた。文明太后の姪に当たる。493年太和17年)4月、皇后に立てられた。孝文帝が南征すると、皇后は平城に残った。孝文帝が洛陽に遷都すると、皇后は六宮を率いて洛陽に移った。孝文帝は皇后の姉(のちの幽皇后)を寵愛するようになり、皇后に対する愛は衰えた。皇后の姉は妹について讒言を繰り返した。496年(太和20年)7月、皇后は廃位されて庶人となった。出家して練行尼となり、後に瑤光寺で死去した。

伝記資料 編集

脚注 編集

  1. ^ 一説に清、ただし信頼できる資料にない。