孝武帝 (北魏)
孝武帝(こうぶてい、510年 - 535年、在位:532年 - 534年)は、北魏の最後の皇帝。姓は元、諱は脩(修とする史料もある)。第7代皇帝宣武帝の甥。諡号は『魏書』では出帝とも記される。孝武帝は西魏において、出帝は東魏において贈られた諡号である。
孝武帝 元脩 | |
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北魏 | |
第13代皇帝 | |
王朝 | 北魏 |
在位期間 | 532年6月13日 - 535年2月3日 |
都城 |
洛陽 長安 |
字 | 孝則 |
諡号 |
孝武皇帝(『北史』) 出帝(『魏書』) |
生年 | 永平3年(510年) |
没年 |
永熙3年閏12月15日 (535年2月3日) |
父 | 広平王元懐(三男) |
母 | 李氏 |
后妃 | 高皇后 |
陵墓 | 雲陵 |
年号 |
太昌:532年 永興:532年 永熙:532年 - 534年 |
生涯編集
広平王元懐の三男として生まれた。母は側室の李氏。武術を好み、全身傷だらけで、性格は強硬かつ大胆であった。
527年、汝陽県公に封ぜられた。中書侍郎・散騎常侍・平東将軍・鎮東将軍などを歴任した。530年、平陽王に進んだ。531年、侍中・尚書右僕射に任ぜられた。間もなく尚書左僕射に転じた。その後、戦禍を避けて逃げ、農村に身を隠した。
532年4月、高歓により元朗(後廃帝)が廃され、元脩が皇帝に擁立された。斛斯椿と元脩の友人の王思政が元脩を探しだした。元脩は顔色を変えて「お前は私を売ったのか?」と問いただした。王思政は「違います、帝位におつけします」と答えた。元脩はさらに「身の安全は保障があるのか?」と尋ね、王思政は「時局が揺れ動いており、安全は保障しがたくあります」と答えた。斛斯椿は高歓のもとへ復命した。高歓は400騎を率いて元脩を迎えに行き、誠意を尽くし、涙までこぼして即位を請うた。元脩は徳が少ないという理由で断ったが、結局受諾した。
しかし、孝武帝は傀儡も同然であり、高歓は大丞相・天柱大将軍・太師として実権を握っていたことから、孝武帝は常に不安に怯えていた。孝武帝は斛斯椿や王思政らの使嗾により、高歓を排除しようと謀った。また、関中の賀抜岳と手を結び、賀抜勝を荊州に送って高歓に対抗させた。そして、高乾を処断し、高昂をも殺害しようとした。534年2月、賀抜岳が殺害されると、孝武帝はその後継者の宇文泰と結んだ。
孝武帝は、諸侯王時代に旧交があった宇文顕和(宇文泰の同族)に、「天下が乱れているが、どうしたらよいだろうか」と訊ねると、宇文顕和は「現在の方策は、善き者を選んで頼るより他ありません」と答え、詩をそらんじて「かの美人かな、西方の人かな」と言った。孝武帝は、「私の考えと同じだ」と言って、入関の計画を定めた。孝武帝は宇文顕和の母が老年で係累も多いので、計画に参加させようとした。しかし宇文顕和は「現在の情勢では忠と孝をともに立てることはできません。秘密がもれれば身を失う計画であるのに、私情をさしはさむことができましょうか」といって拒絶した。孝武帝は顔色を変えて「卿はわが王陵である」と言った。そして、534年7月、斛斯椿らにより、孝武帝は洛陽から連れ出され、長安に向かった。8月、宇文泰に迎えられて長安に入った。このため、洛陽には皇帝が不在となり、高歓は代わって元善見(孝静帝)を皇帝に立てた。
孝武帝は3人の従姉妹(平原公主元明月・安徳公主・元蒺藜)を寵愛して不倫の仲となっていて、たびたび4人で乱交し、このうち元明月を長安へ伴った。しかし、宇文泰は孝武帝の乱交を憎み、元明月の実兄である元宝炬に命じ、彼女を騙しておびき寄せ、殺害した。そのため、孝武帝と宇文泰の間は険悪になった。534年12月、孝武帝は毒酒によって殺害された。
宇文泰は孝武帝の従兄の元宝炬(文帝)を代わって皇帝に立てた。こうして、高歓が実権を握る孝静帝の東魏と、宇文泰が実権を握る文帝の西魏が並び立つこととなった。
孝武帝の皇后高氏は高歓の娘であったが、孝武帝の死後に彭城王元韶に再嫁した。また、孝武帝の妹にも平原公主に封じられた公主(のち、馮翊公主に改封)がおり、2度目の結婚で宇文泰との間に嫡子の宇文覚(北周の孝閔帝)をもうけた(後世に文帝元皇后と呼ばれる)。
孝武帝の遺骨は草堂寺に埋葬された。甥の孝閔帝の時に、皇帝の礼で改葬された。
宗室編集
拓跋部 | 1拓跋毛 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
13拓跋鄰 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
14拓跋詰汾 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
禿髪部1禿髪匹孤 | 15拓跋力微 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(南涼) | 16拓跋沙漠汗 | 17拓跋悉鹿 | 18拓跋綽 | 東部拓跋禄官 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中部拓跋猗㐌 | 19拓跋弗 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
代 | 1拓跋猗盧 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2拓跋普根 | 5拓跋賀傉 | 6,8拓跋紇那 | 拓跋六脩 | 4拓跋鬱律 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3拓跋? | 7,9拓跋翳槐 | 10拓跋什翼犍 | 拓跋孤 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
拓跋寔君 | 追拓跋寔 | 拓跋窟咄 | 拓跋斤 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
北魏 | 1道武帝 拓跋珪 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2明元帝 拓跋嗣 | 清河王 拓跋紹 | 陽平王 拓跋煕 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
3太武帝 拓跋燾 | 淮南靖王 拓跋他 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
追景穆帝 拓跋晃 | 東平王 拓跋翰 | 4南安王 拓跋余 | 元鍾葵 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5文成帝 拓跋濬 | 南安王 拓跋楨 | 僭元法僧 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6献文帝 拓跋弘 | 章武王 元彬 | 扶風王 元怡 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7孝文帝 元宏 | 追先帝 元羽 | 北海王 元詳 | 追文穆帝 元勰 | 章武王 元融 | 11東海王 元曄 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
廃太子 元恂 | 12節閔帝 元恭 | 僭北海王 元顥 | 追彭城王 元劭 | 10孝荘帝 元子攸 | 13安定王 元朗 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8宣武帝 元恪 | 僭/追文景帝 元愉 | 清河王 元懌 | 追武穆帝 元懐 | 僭汝南王 元悦 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9孝明帝 元詡 | 臨洮王 元宝暉 | 西1文帝 元宝炬 | 清河王 元亶 | 14孝武帝 元脩 | 文帝元皇后 元氏 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
僭孝明帝女児 元氏 | 僭幼主 元釗 | 西2廃帝 元欽 | 西3恭帝 拓跋廓 | 東1孝静帝 元善見 | 北周1孝閔帝 宇文覚 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||