孝静夏皇后
夏皇后(かこうごう)は、明の正徳帝の皇后。孝静毅皇后(こうせいきこうごう)と諡された。
夏皇后 | |
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明の皇后 | |
孝静毅皇后夏氏 | |
在位 |
正徳元年8月11日 - 正徳16年3月14日 (1506年8月29日 - 1521年4月20日) |
別称 | 荘粛皇后、孝静毅皇后 |
出生 |
弘治5年3月9日 (1492年4月5日) 応天府上元県 |
死去 |
嘉靖14年1月25日 (1535年2月26日) 順天府、紫禁城 |
埋葬 | 康陵 |
配偶者 | 正徳帝 |
父親 | 夏儒(慶雲伯) |
母親 | 慶雲伯夫人葉氏 |
経歴
編集応天府上元県の人。孝子として知られた夏儒と葉氏のあいだの娘として生まれる。正徳元年(1506年)、選抜されて後宮に入り、皇后に立てられた。父の夏儒は慶雲伯に封じられた。
正徳帝は放蕩恣睢な生活を送り、皇后をかえりみなかったが、多くの賞賜を与えた。正徳帝が崩じた際、男子も兄弟もなかったので、従弟の嘉靖帝が皇帝となった。夏氏は皇嫂(皇帝の従兄の嫁)として、荘粛皇后の尊号を受けた。嘉靖14年(1535年)正月、崩じた。
伝記資料
編集- 『明武宗実録』
- 『明世宗実録』