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学校に関する日本初の一覧

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学校に関する日本初の一覧(がっこうにかんするにほんはつのいちらん)は、日本学校に関する日本初の事物の一覧である。

目次

学校教育編集

学生編集

教師編集

学位編集

  • 日本人の学士 - 新島襄(理学士、アマースト大学)正規の大学を卒業した最初の日本人(1870年)
  • 学士 - 東京大学卒業式、法・理・文学部および医学本科(18名)、製薬本科(19名)の卒業生に法学士・理学士・文学士・医学士・製薬士が授与される。(1879年7月10日)
  • 工学士 - フランスの中央工業大学(エコール・サントラル)卒業式、古市公威が工学士を授与される。(1879年8月)
  • 農学士 - 札幌農学校卒業式(不明)
    • 前身の開拓使仮学校が日本で初めて学士号(農学士)を授与した機関であるという記録もある。[5]
  • 女性の学士(国外) - 山川捨松ヴァッサー大学)日本人女性として初めてアメリカの大学を卒業(1882年)[6]
  • 女性の学士(国内) - 黒田チカ(理学士)[7]牧田らく(理学士)[8](1916年)
  • 女性理学博士 - 保井コノ(やすい コノ)植物学者(1927年)[9] 日本で初めて博士号をとった女性[10]
  • 女性医学博士 - 西村康子(1931年)[11]
  • 女性農学博士 - 辻村みちよ(1932年)[12]
  • 女性薬学博士 - 鈴木ひでる(1937年)[13]
  • 女性文学博士 - 近藤いね子(1952年)[14]
  • 女性法学博士 - 立石芳枝(1962年)[11]
  • 女性工学博士 - 佐藤公子(1962年)[15]

学校編集

古代編集

  • 官立学校 - 学識頭(671年)という役職や天智天皇が創設した庠序という学校についての文献が残されている。大学寮の起源か。

大宝律令以後(701年〜)編集

大宝律令により日本で最初の成文化された教育制度が確立される。この骨格は国子監制度から持ちこまれた。

江戸時代編集

明治維新直後(1868年〜)編集

明治政府は教育の近代化を図り、高等教育機関を大学、中等教育機関を中学、初等教育機関を小学とする方針を打ち出した。[16]

学制施行以後(1872年〜)編集

就学前教育機関編集

初等教育機関編集

中等教育機関編集

高等教育機関編集

学校教育法施行以後(1947年〜)編集

就学前教育機関編集

初等教育機関編集

  • 小学校 - 1947年

中等教育機関編集

高等教育機関編集

専修学校編集

  • 総合教育機関 - 日本工学院専門学校 (1947年に前身の創美学園創立、1953年に日本テレビ技術学校設立、1955年に日本テレビ技術専門学院と改名、1956年に学校法人の認可を受け日本テレビ技術専門学校と改称、1964年に日本電子工学院と改称、1976年に専修学校制度の許可を受け現在の名前となる)
  • コンピュータ教育機関 - 京都コンピュータ学院(1963年に前身のFORTRAN研究会が発足、1969年に現在の名前で専修学校となる)
  • Twitterを本格導入した専門学校 - 神戸電子専門学校(2009年8月20日導入)
    • 同校は神戸電子学園として1958年に発足、1965年に現在の名前で各種学校、1976年に専修学校となり、京都コンピュータ学院に匹敵する歴史を持つ。

各種学校編集

その他の学校編集

その他編集

脚注編集

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  1. ^ 日本初の女子学生誕生”. 産学官連携ジャーナル. 2019年2月17日閲覧。
  2. ^ 記念シンポジウム”. 東北大学 女子学生入学百周年記念事業. 2019年2月17日閲覧。
  3. ^ 久留島典子ほか編『ジェンダーから見た日本史』大月書店、2015年、164頁。
  4. ^ 1873年の学制では、大学教員の資格は学士号を持つものとされていた。これらの教授は例外か。
  5. ^ 1878年に旧東京大学に学士号の学位授与権が付与される。1876年に日本で初めて学士号を授与する教育機関として札幌農学校が設立。工部大学校の学士号授与権が付与された年は不明。
  6. ^ アメリカ留学のパイオニアたちの足跡をたどる:大山捨松とヴァッサー・カレッジ”. 2019年2月17日閲覧。
  7. ^ 女性研究者名鑑 黒田チカ”. お茶ノ水女子大学デジタルアーカイブズ. 2019年2月17日閲覧。
  8. ^ 2013年企画展示「日本初の女子大学生誕生100年 黒田チカと牧田らく」”. お茶ノ水女子大学デジタルアーカイブズ. 2019年2月17日閲覧。
  9. ^ 上田正昭ほか監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年、1934頁。
  10. ^ 女性研究者名鑑 保井コノ”. お茶ノ水女子大学デジタルアーカイブズ. 2019年2月17日閲覧。
  11. ^ a b 都河明子「科学とジェンダー」『東京医科歯科大学教養部研究紀要』第34巻、東京医科歯科大学教養部、2004年、 doi:10.11480/kyoyobukiyo.34.0_952019年2月17日閲覧。
  12. ^ 上田正昭ほか監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年、1235頁。
  13. ^ 上田正昭ほか監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年、1019頁。
  14. ^ “近藤いね子さん死去”. 朝日新聞 朝刊: p. 39. (2008年11月15日) (朝日新聞記事データベースから)
  15. ^ 「リケジョ」の先達たち”. 東京工業大学. 2019年2月27日閲覧。
  16. ^ 明治政府による欧米諸国と同等水準の最高学府である大学創設計画は、まず京都で国学中心に始められた。その後、政治の中心が東京に移るとともに東京で洋学中心に展開された。 また、このころ各地で藩校や寺子屋や私塾を改革して、小中学校や郷学校等が新しく設けられた。これらの学校は学制発布後の小中学校の前身であり、小中学校設立の母体となった。さらに、各地の藩校や私塾から近代的な洋学校や洋学塾などが設立され、後の大学の母体となっていく。
  17. ^ 学制百年史
  18. ^ 1879年の教育令施行までの大学と同等の専門学校と呼ばれる高等教育機関で、卒業すると学士号が与えられる。旧制専門学校は学士号の授与権はなく別物。

関連項目編集


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