孫正義
孫 正義(そん まさよし[1]、1957年〈昭和32年〉8月11日 [2]- )は、佐賀県鳥栖市出身の実業家、資本家、投資家[3]。
そん まさよし 孫 正義 | |
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生誕 | 1957年8月11日(66歳) 佐賀県鳥栖市 |
住居 | 東京都港区 |
国籍 | ![]() ![]() |
出身校 | カリフォルニア大学バークレー校 経済学部 (Bachelor of Economics / 経済学士) |
職業 | 実業家 投資家、資本家 |
活動期間 | 1979年 - |
肩書き | ソフトバンクグループ株式会社 代表取締役会長兼社長 |
子供 | 2人 |
ソフトバンクグループ株式会社代表取締役会長兼社長[4][5]、ソフトバンクグループジャパン株式会社代表取締役、ソフトバンク株式会社創業者兼取締役[6]、福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役オーナー[7]、ARMホールディングス取締役会長[8]、公益財団法人自然エネルギー財団会長[9]。
経歴 編集
出生・幼少期 編集
在日韓国人実業家の二男として佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落に出生。4人兄弟であった。いわゆる通名は「安本正義」[10]。なお、孫は自身のTwitterで、自分が日本に帰化していることに言及している[11]。
孫は佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落で幼少期を過ごした[12]。豚や羊と一緒に生活する非常に貧しく不衛生な場所であったが、「今だから言えるが密造酒も家で作っていた」と佐野眞一のインタビューで述べると共に、父親の三憲が密造酒製造販売以外にも消費者金融、パチンコ業で大成功し、長じてはパチンコ店数十店舗を所有し、高級車を何台も保有するほどの裕福な時期もあったことも明らかにしている[12][13]。
北九州市八幡西区相生町に転居後、北九州市立引野小学校を卒業、北九州市立引野中学校に入学。福岡市に転居して福岡市立城南中学校に転入。
高校・大学時代 編集
1973年に久留米大学附設高等学校に入学[14]。高校入学後、家庭教師に薦められた司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を愛読し、脱藩に憧れて渡米を決意し[要出典]、夏休みを利用して米国カリフォルニア州にて語学研修のため4週間の短期留学[15]。
1974年に久留米大学附設高等学校を中退し、2月に渡米し米国ホーリー・ネームズ・カレッジの英語学校 (ESL) に入学し、サンフランシスコのセラモンテ高等学校2学年に編入学[16]。3年生、4年生へと飛び級し、米国高校卒業検定試験に合格したため、3週間で退学、翌1975年にホーリー・ネームズ・カレッジに入学した[17]。
1977年、カリフォルニア大学バークレー校経済学部の3学年に編入学[18]。そして1979年、シャープに自動翻訳機を売り込んで得た資金1億円を元手に[19]、米国でソフトウェア開発会社の「Unison World」を設立。インベーダーゲーム機を日本から輸入し、米国で販売した[20]。
1980年にカリフォルニア大学バークレー校を卒業した[21]。
ソフトバンク起業 編集
1980年、日本に帰国しコンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド」を博多区雑餉隈で興す。そして1981年、ユニソン・ワールドと経営総合研究所の共同出資で福岡県大野城市に「日本ソフトバンク」を設立し、代表取締役社長に就任するも[22]、1983年、慢性肝炎での入院をきっかけに社長職を退いた。
「お金じゃない、地位や名誉でもない、ばあちゃんがやっていたような、人に喜んでもらえることに貢献できたら幸せだ。どこか名前も知らない小さな女の子に『ありがとう』と言ってもらえるような、そんな仕事がしたい」と思い今に至る。「おばあちゃんはいつも『人さまのお陰だ』と言っていたことから、人を恨んだりしてはいけない」とも語っている。
1986年に社長職に復帰。以降、パソナの南部靖之、エイチ・アイ・エスの澤田秀雄と共にベンチャー三銃士と称された[23]。
1990年代 編集
1990年、日本ソフトバンクをソフトバンクに社名変更。1994年にソフトバンクの株式を店頭公開。
1996年には米ヤフー社とソフトバンクの合弁でヤフー(Yahoo! JAPAN)を設立。同社代表取締役社長に就任[22]。
同年、衛星放送プラットフォームの運営会社としてJスカイBをルパート・マードックが経営しているニューズ・コーポレーションとの折半出資により設立[注 1]。マードックが会長、自らは社長に就任した。また、全国朝日放送(テレビ朝日)の筆頭株主だった旺文社から、ニューズ社との合弁会社が保有全株式を買い取り、21%の筆頭株主となった[25]。ニューズ・コーポレーションと共同での経営を目的としたM&Aであったが、翌1997年3月に、当時第3位株主だった朝日新聞社に全株式を譲渡して撤退した。JスカイBは1997年にソニーとフジテレビジョン(現・フジ・メディア・ホールディングス)がイコールパートナーとして資本参加し、1998年にはパーフェクTV!を運営する日本デジタル放送サービス(現スカパーJSAT)と合併。スカイパーフェクTV!(スカパー!)として放送を開始した。
1999年、証券市場の開設を企図し米国のナスダック・ストック・マーケットとソフトバンクが共同出資し、ナスダック・ジャパンプランニング株式会社を設立。翌2000年には大阪証券取引所とナスダック・ジャパンプランニングにてナスダック・ジャパン市場を開始。
ソフトバンクが東京海上火災保険、オリックスと共に、日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)の株式を取得。取締役に就任した。
NTTドコモの第一期アドバイザリーボードのメンバーを1年程務める[注 2]。
2000年代 編集
2001年からヤフーと共同でADSL接続サービスのYahoo!BBの提供を開始。以降、ソフトバンクは、それまでのPCソフト卸・出版から通信業に本業の軸足を移すことになる。
2002年、ナスダック・ジャパンが業務を停止。大阪証券取引所によりヘラクレスとして改組された。2003年にあおぞら銀行の株式をサーベラス・キャピタル・マネジメント社に売却した。
2004年には日本テレコムを買収し、同社代表取締役会長に就任。プロ野球球団・福岡ダイエーホークスをダイエーから買収し、福岡ソフトバンクホークスのオーナーとなった。
2005年Alibaba.com Corporation(現アリババグループ), Director[22]。
2006年10月にソフトバンクテレコムの社長を兼務。続けてボーダフォン(現・ソフトバンク株式会社)を買収し、同社取締役会議長、代表執行役社長兼CEOに就任した[22]。
2010年代 編集
2011年に東日本大震災が発生すると、義援金として個人で100億円および2011年から引退するまでソフトバンクグループ代表として受け取る報酬の全額を寄付することを表明し、同年7月14日に40億円の寄付が終了した[27]。さらに福島第一原子力発電所事故を受け、自然エネルギー財団を設立[28][29]。『東日本大震災復興支援財団』を6月に設立[30]。
2015年4月1日、ソフトバンクモバイルの代表執行役社長から、代表取締役会長に異動した。ソフトバンクモバイルは、同時に、ソフトバンクBB、ソフトバンクテレコム、ワイモバイルの3社を吸収合併する[31]。同年6月にヤフー取締役に就任。同年9月ARM Holdings plc(現SVF HOLDCO( UK ) LIMITED), Chairman and Executive Director[22]。
2017年には海外の大物経営者が名を連ねている、中国・清華大学経済管理学院の顧問委員に就任[32][33]。同年に米ニュース解説メディア「Vox(ヴォックス)」の「Recode 100 ~ 2017年に重要となったテクノロジー、ビジネス、メディアの人々。」にて6位に選ばれた[34]。
同年6月、ソフトバンクグループ代表取締役会長兼社長[22]。2017年12月14日、メジャーリーグサッカー参入を目指すデビッド・ベッカムの投資家グループへの参加が承認された[35]。
2018年3月Arm Limited, Chairman and Director。2018年4月ソフトバンク取締役会長。2018年5月Sprint Corporation, Director of the Board[22]。
2020年代 編集
2021年9月のビジネスイベント「SoftBank World 2021」基調講演で「ロボットの時代とAIの時代をかけ合わせる、“スマボ” の時代がやって来る」と語り労働人口減少や生産性の低迷から、競争力が低迷しつつある日本社会の将来を救い、日本の復活のカギになるのは、”スマボ” であるとのビジョンを示した。Tesla Botなどの例を挙げ、具体的にはAIによる自動化や高度な検知・判断機能に加え、ディープラーニングによる作業の正確化を通じて、これまで人間が行っていた作業を代わりに行うことで、生産性の向上や作業工数の削減につながるとした。
略歴 編集
- 1980年(昭和55年)3月 - カリフォルニア大学バークレー校経済学部卒業[36]。
- 1981年(昭和56年)9月 - 日本ソフトバンク株式会社(現・ソフトバンクグループ株式会社)代表取締役社長[37]。
- 1983年(昭和58年)4月 - 日本ソフトバンク株式会社(現・ソフトバンクグループ株式会社)代表取締役会長[37]。
- 1986年(昭和61年)2月 - 日本ソフトバンク株式会社(現・ソフトバンクグループ株式会社)代表取締役社長[37]。
- 1994年(平成6年)3月 - ソフトバンク・ホールディングス・インク取締役会長兼CEO[37]。
- 1994年(平成6年)4月 - メディアバンク企画株式会社代表取締役社長[38]。
- 1996年(平成8年)1月 - ヤフー株式会社(現・Zホールディングス株式会社)代表取締役社長[39]。
- 1996年(平成8年)7月 - ヤフー株式会社(現・Zホールディングス株式会社)取締役会長[40]。
- 1996年(平成8年)12月 - ジェイ・スカイ・ビー株式会社代表取締役社長[41]。
- 1997年(平成9年)8月 - エスビーネットワークス株式会社(現・SBテクノロジー株式会社)代表取締役社長[42]。
- 1998年(平成10年)5月 - 孫アセットマネージメント株式会社(現・孫アセットマネージメント合同会社)代表取締役社長[37]。
- 1999年(平成11年)1月 - ブロードキャスト・コム株式会社代表取締役[43]。
- 1999年(平成11年)4月 - カーポイント株式会社代表取締役[44]。
- 1999年(平成11年)6月 - ナスダック・ジャパン・プランニング株式会社取締役[37]。
- 2000年(平成12年)9月 - スピードネット株式会社非常勤取締役[45]。
- 2000年(平成12年)9月 - 株式会社日本債券信用銀行(現・株式会社あおぞら銀行)取締役[46]。
- 2000年(平成12年)11月 - 日本アリバ株式会社取締役[46]。
- 2001年(平成13年)2月 - 孫ベンチャーズ保証株式会社取締役[46]。
- 2001年(平成13年)6月 - ビー・ビー・テクノロジー株式会社代表取締役社長[47]。
- 2004年(平成16年)2月 - ソフトバンクBB株式会社(初代法人)代表取締役社長兼CEO[48]。
- 2004年(平成16年)7月 - 日本テレコム株式会社(三代目法人)社外取締役 取締役会議長[49][50]。
- 2005年(平成17年)1月 - 福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役オーナー(現任)[51]。
- 2005年(平成17年)10月 - 阿里巴巴網絡有限公司(現・阿里巴巴集団控股有限公司)取締役(現任)[52]。
- 2005年(平成17年)12月 - ソフトバンクBB株式会社(二代目法人)代表取締役社長兼CEO[48]。
- 2005年(平成17年)12月 - TVバンク株式会社代表取締役社長[53]。
- 2006年(平成18年)4月 - ボーダフォン株式会社(現・ソフトバンク株式会社)代表執行役社長兼CEO[54]。
- 2006年(平成18年)4月 - ボーダフォン株式会社(現・ソフトバンク株式会社)取締役会議長[54]。
- 2006年(平成18年)6月 - 日本テレコム株式会社代表取締役会長[55]。
- 2006年(平成18年)10月 - ソフトバンクテレコム株式会社(初代法人)代表取締役社長兼CEO[56]。
- 2007年(平成19年)2月 - ソフトバンクテレコム株式会社(二代目法人)代表取締役社長兼CEO[57]。
- 2007年(平成19年)6月 - ソフトバンクモバイル株式会社(現・ソフトバンク株式会社)代表取締役社長兼CEO[58]。
- 2008年(平成20年)5月 - アリババ株式会社取締役[59]。
- 2011年(平成23年)8月 - 一般財団法人自然エネルギー財団(現・公益財団法人自然エネルギー財団)会長(現任)。
- 2013年(平成25年)7月 - スプリント・コーポレーション取締役会長[60]。
- 2015年(平成27年)4月 - ソフトバンクモバイル株式会社(現・ソフトバンク株式会社)代表取締役会長[61]。
- 2015年(平成27年)6月 - ヤフー株式会社(現・Zホールディングス株式会社)取締役(現任)[62]。
- 2016年(平成28年)3月 - ソフトバンクグループインターナショナル合同会社(現・ソフトバンクグループジャパン株式会社)職務執行者[52]。
- 2016年(平成28年)9月 - アーム・ホールディングスPLC(現・SVFホールディング・カンパニー・リミテッド)代表取締役会長[63]。
- 2017年(平成29年)6月 - ソフトバンクグループ株式会社代表取締役会長兼社長[64]。
- 2018年(平成30年)3月 - アーム・リミテッド取締役会長(現任)[65]。
- 2018年(平成30年)4月 - ソフトバンク株式会社取締役会長[66]。
- 2018年(平成30年)5月 - スプリント・コーポレーション取締役(現任)[65]。
- 2018年(平成30年)6月 - ソフトバンクグループジャパン株式会社代表取締役(現任)[67]。
- 2021年(令和3年)1月 - ソフトバンク株式会社創業者 取締役(現任)[68]
ソフトバンクの創業 編集
設立経緯 編集
自分で考案した「音声機能付き他言語翻訳機」[69]を当時シャープ専務の佐々木正に約1億円で売り込み、大銀行の紹介・融資の手引きをされて1億円の融資を手に入れた[70]。
その資金を元に米国で事業を起こし、1981年には福岡で不動産・産廃業を営む母方の親戚の在日韓国人から1億円の出資を受けて日本で起業する[12][71]。佐野眞一は創業時に1億円を投じた在日韓国人の親戚が個人株主としては現在も最大の株主であるとしている[71]。(ただし、孫自身を個人株主に含めれば孫が最大の株主となっている)。
電話の際に自動的に安い回線を選ぶ「NCC BOX」(いわゆるLCR)をフォーバルの大久保秀夫と共に開発した(その関係で、日本におけるLCRの基本特許は孫が保有している)[72]。大久保秀夫との交流は以後も続き、BBフォン、おとくラインの販売など、ソフトバンクグループの法人向けの営業では常にフォーバルと協力体制を取ってきた。
ソフトバンクの前身 編集
自動翻訳機の売込みで得た資金(1億円)を元手に、米国でソフトウェア開発会社の「Unison World」を設立。日本で当時流行していたアーケードゲーム「スペースインベーダー」を、ブームが沈静化した後に大量に安価で買い取り、アメリカで売り出して大きな利益を得た[要出典]。
「日本ソフトバンク」名義の会社を設立したのは1981年であるが、孫自身は事あるごとに「私は、福岡の
孫は同社員の前で、立ち上げた会社を「10年で年商500億の会社にする」と豪語したが、これを聞いた二人は孫の可能性を信じることが出来ず非現実的な法螺話と受け取り、彼の力量を見限って辞めてしまったという話がある[73]。
通名ではなく本名で起業 編集
ユニソン・ワールドとして会社起業する際、日本名である「安本」ではなく韓国名の「孫」の名前で会社を興すことを決め、そのことを一族に伝えた[74]。しかし親や親戚からは、「在日が日常生活で差別されることはかなり減ったが、就職では間違いなく差別され銀行も絶対金を貸さない。お前の認識は甘い。ハードルは十倍あがる。わざわざ好んでその難しい道を行くのか」と猛反対された[74]。それに対して孫は「たとえ十倍難しい道であっても、俺は人間としてのプライドを優先したい。俺はどれだけ難しい道だって堂々と正面突破したいんだ」 と答えた[74]。一族からは「お前は青い」とも言われたが、父親は何も言わず黙って孫の話を聞いていたという[75]。
孫の名前にこだわった理由はもう一つあり、それは渡米する際に心に決めた志と通名による起業が矛盾するということであった。孫は佐野に対して「何十万人といる在日韓国人が、日本で就職や結婚や、それこそ金を借りるとき差別を受けている。でも在日韓国人であろうが、日本人と同じだけの正義感があって、能力がある。それを自分が事業で成功して、 証明しなきゃならないと思ったんです。これからの在日の若者に、それを背中で示さなきゃいけないのに、俺が 本名を隠してこそこそやったんじゃ、意味がなくなるじゃないか、アメリカに行った目的が達成できないじゃないか。あとから、あの事業を興したのは、実は孫でしたと言ったって……」[76]と述べている。
震災やエネルギー分野での取り組み 編集
東日本大震災復興資金の寄付 編集
2011年4月3日、東日本大震災の被災者支援と復興資金として個人で100億円を寄付すると発表した[77]。また、2011年から引退するまでソフトバンクグループ代表として受け取る報酬の全額も、震災で両親を亡くした孤児の支援として寄付するとも発表した[78]。ソフトバンクも企業として東日本大震災に対し10億円の寄付を決定している。孫は3月22日福島県の避難所を訪れ、被災者数万人への携帯電話の無償貸与に加えて、震災孤児対象に18歳までの通信料の完全無料化を表明している。
2011年5月16日、寄付金の配分を発表した[79]。内訳は、日本赤十字社・中央共同募金会・岩手県・宮城県・福島県に各10億円、日本ユニセフ協会などの「震災遺児への支援を行う公益法人」に6億円、茨城県・千葉県に各2億円。40億円は、孫と自治体が共同で設立、孫自身が会長を務める東日本大震災復興支援財団[80]に託す。
2011年6月11日までに、財団分を除く60億円の寄付が各所に行われた[81][82]。
2011年7月14日に、東日本大震災復興支援財団に残りの40億円が寄付として渡され、全100億円分の寄付が完了した[83]。この寄付金は、10年以上の継続支援ができるよう、被災地の子どもたちを中心とした支援のみに100%使われていくという[84]。
日本での脱原発と再生可能エネルギー推進、韓国での原発推進 編集
孫は福島第一原子力発電所事故後、元ソフトバンク社長室長で元民主党衆議院議員であった嶋聡の民主党人脈を使って、当時の菅直人首相と共に、再生可能エネルギー(「自然エネルギー」)の普及と脱原発を掲げて活動を始めた。菅首相が政府委員や公職者でもない孫の意見にエネルギー政策を頼ったため、孫の個人的な持論が民主党政権の政策に反映された、と批判されることもある[85]。
2011年4月には発電コストについてはアメリカにおいて補助金の助けで風力発電と原子力発電のコストが2010年に逆転したとし、再生可能エネルギーの方が原子力より安価であるとの考えを表明して、日本で自家発電などで生産された再生可能エネルギーを電力会社が買い取る固定価格買取制度を導入することに期待感を示していた[86]。また、孫は「電力会社は悪なので、発送電分離によって解体すべき」「太陽光発電に支援を」「再エネ補助金を優遇せよ」「(固定価格)買い取り保証は超長期で」「原発はゼロに」と主張していたという[85]。
孫はエネルギー間のバランスを考えず[注 3]、再生可能エネルギーに偏重した政策を実施させ、しかもその後、自身が再生可能エネルギーで巨大ビジネスを展開したため、孫の動きを震災に便乗した補助金ビジネスとして「政商」と批判する声がある[87][88]。実際に、民主党政権による固定価格買取制度の導入に際して、孫は菅直人首相に強く働きかけて同制度を成立させている[注 4][89]。その際、孫は参考人として呼ばれた政府の委員会において、太陽光発電は造成コスト等も含めるとコストが非常に高く、最低でも40円/kWhの高い買取価格が必要だと主張した(孫はこのとき、太陽光発電は40円/kWhでは9割の地点で採算が合わず、本来は更に高い42~45円/kWhが必要であるが、「消費者への負担とのバランスを考えると」最低でも40円/kWhが必要だと主張した)[注 5][90]。
そして実際に2012年、孫の希望通り、メガソーラー(大規模太陽光発電所)で「最低限の」40円/kWh、住宅用太陽光で42円/kWhで固定価格買取制度が開始した。これは太陽光発電を特に集中的に優遇し、申請時点の買取価格をプラント建設後20年間まで保証するというもので、この日本の太陽光発電買取価格は世界で最も高く[85]、他の先進諸国に比べても2倍以上と、異常に高い[91]。この制度によって日本国民が負担する賦課金額は、2016年時点で既に、年間2兆円という巨額に達しており[92]、最終的には累計53~85兆円(廃炉・事故処理・賠償等を含む福島原発事故の被害総額(2016年推計)[93]のおよそ2.5~4倍)程度に及ぶ、と試算されている[91]。
固定価格買取制度が開始した2012年以降、孫の率いるソフトバンク・グループは初期参入を果たして、国内各地に数多くのメガソーラー(大規模太陽光発電所)を建設し[94]、ビジネスを展開した。
また、この制度により、太陽光パネルの設置バブルが発生したと非難する声もある[95]。すなわち、固定価格買取制度に補助を受けた太陽光ビジネスは、上記の政府委員会での孫の主張とは裏腹に、年利回り8%以上、日照がよい場所なら10%以上の極めて魅力的なビジネスであり、しかも設置の小分けが出来るようにしたことで投資家が群がった。日照の良い一部の地域ではビジネス優遇のため、ドイツのような設置への規制を設けなかったため、自治体のレベルで差がついた。森林伐採や日射被害、土砂崩れなど、景観や住環境の破壊が進み、住民からの反対運動も生じるようになった[96][97]。
孫を取材し尊敬していたという旧知の堀義人も孫をツイッター上で「政商」だと批判し、その批判から孫と討論会を実施する運びとなった[98]。民主党の原口一博は孫の立てた大規模太陽光発電所(メガソーラー)構想に対して「太陽光か原発かという選択肢ではありません。『大規模・独占・集中・排除』か『小規模・分散・自立・共同』で選択しないといけない」と忠告したという[99]。
なお、孫の脱原発運動は日本限定の活動であり、訪韓して李明博大統領と会談した際には「脱原発は日本の話。韓国は地震が多い日本とは明らかに異なる」「安全に運営されている韓国の原発を高く評価している」と韓国の原子力発電所を高く評価しているという。また、再生可能エネルギー分野でも日韓協力の体制を敷くことに前向きなコメントを残している[100]。
データセンターの韓国設置について 編集
東日本大震災を受け孫が経営するソフトバンクは電力供給と料金面で有利な韓国にデータセンターを立ち上げることでKT社と合意した。孫は韓国にデータセンターを置く利点として、「近い」「安い」「高いICTの先進性」の3点を挙げ、「韓国は非常に『近い』外国であり、産業用電気料金が日本の半額で『安い』」ことを挙げている[101]。
堀は上述の産経新聞記事にて、この件を原子力発電で電力を賄っている韓国に産業を移転し日本の産業を空洞化させるものとして批判している他、池田信夫はニューズウィーク日本版の連載コラムにて「メガソーラーで日本の電気代を上げて他社のコストを圧迫する一方で、ソフトバンクは韓国の原発でつくった安い電気を使ってもうけようというわけだ」という批判を紹介し「彼の挑戦がもう少しツボにはまれば、霞ヶ関にも応援団はかなり出てくるだろう」と評している[102]。
エピソード・人物 編集
好きな起業家 編集
将来計画 編集
孫は19歳の時に「20代で名乗りを上げ、30代で軍資金を最低で1000億円貯め、40代でひと勝負し、50代で事業を完成させ、60代で事業を後継者に引き継ぐ」という人生50年計画を立て、今もその計画の実現に向けて走り続けているという[要出典]。
小学生時代のエピソード 編集
小学生時代の夢は画家で、好きな画家はゴッホ[注 6]。 孫の父・三憲は小学生の正義に対し「今度お父さんが出す新製品に、何か言いたい事はあるかな」と問い、子ども扱いせずに関係者の一人として意見を聞いていた[12]。こうした体験が後に経営者としての手腕に繋がっていった。また「お前は在日朝鮮人だから、普通の日本人より頑張らないと出世出来ないぞ」と語っていた[12]。
藤田田を訪問 編集
高校時代、藤田田の『ユダヤの商法―世界経済を動かす』という書籍(KKベストセラーズ、1972年)を読んで感動し、面会するために藤田の会社に行く。最初は門前払いを受けるが、何度も訪れて根負けした藤田についに社長室に通されたという。そこで「今度渡米するのだが、アメリカで何をすべきか」と尋ね、コンピューター関連を学ぶように助言された。アメリカ留学に際して、孫は藤田から資金的な援助を得ている[105]。
その後、成功した孫は藤田を食事に招待し、藤田はあの時尋ねてきた高校生が孫正義だったかと驚き、非常に感激し、孫の会社に自社パソコン300台を発注したという[106]。
大学検定試験のエピソード 編集
カリフォルニア州での大学の検定試験の際に「この問題は日本語ならば必ず解ける」と言い、辞書の貸し出しと時間延長を試験官に申し出た。試験官は、自分の上司にあたる人間に相談。さらにその上司は、自分の上司に相談。そうこうしているうちに、最後は州知事にまで孫は電話で交渉することになった。
結果的に「辞書の貸出し」と「時間延長の要求」を飲ませた孫だったが、州知事との交渉において「厳密な終了時間」を知事は決めておらず、「辞書を引くのに適当な時間だけ延長する」という結論が出されたことから、「無期限の時間延長」と孫は独自解釈して、最後までテストを受けて合格したという。
著名な発言 編集
- 将来はヤフーを子会社化
- 孫は2005年に雑誌の取材で「近い将来アメリカのヤフー本社も買収して子会社化しようと思う」と話している。[要出典]もっとも米国のYahoo!はかつてソフトバンクが筆頭株主だった。
- 噂にはコメントしない
- ソフトバンクの新機種発表会で、「iPhone 3Gの発売はソフトバンクからか」と質問された時の発言。「iPhone 3GS」の発売前にも、同じコメントを残していた。
- 首相四年連続辞任時に「日本の不幸」
- 2010年、Twitterユーザーから首相辞任にコメントを求められた際に、「4人の首相の任期が1年程度。民間会社ですら社長任期が1年では大きな事は成し得ない。日本の不幸」と述べた。
在日割引問題 編集
2010年7月19日、週刊新潮に取り上げられていた「在日割引」の存在について、一般ユーザーからの「ソフトバンクがそのような割引をしているのはデマか?」との質問に対し、Twitter上で直接の返答と詳細な経緯の説明を行った[107]。「この割引プランはデマ。2008年に代理店がソフトバンクの許可無く販売したが、ソフトバンク側が認知した後に書面で通知し、当該の割引営業行為を停止させた」と発言した。ソフトバンクモバイル広報室は「この割引プランは、弊社の代理店が民団と勝手に取りまとめたもので、弊社サービスではありません」と発言した[107]。
特許 編集
スクリーンゴルフの周囲に空気ダクトを設置し風を送ることで臨場感を増した『ゴルフシミュレーションゲーム環境装置』を特許出願(特許4041197)しており、自宅の地下に設置しているとされる。
家族・親族 編集
系譜 編集
- 孫氏(安本氏)
- 孫正義は一直孫氏である。23代前に中国に先祖がいる[108]。李氏朝鮮時代の地理書『新増東国輿地勝覧』と大韓民国慶尚北道安東市一直面松里里にある孫洪亮遺墟碑によれば、始祖ソンウン(孫凝)の元性は荀氏で朝鮮土着民であり、高麗顕宗の名前と音が同じだったため、避諱するために孫氏が賜姓された。佐野眞一によると、孫一族は1947年に朝鮮南部から船で日本へ渡り、正義の父である三憲が消費者金融、密造酒、パチンコを家業として財を築いた[12][109]。
鐘慶 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三憲 | (男性) | (男性) | (男性) | (女性) | (女性) | 真太郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
正明 | 正義 | 正憲 | 泰蔵 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
実家 編集
祖父と祖母は漁船の底に潜り込んで日本に入国したという[108]。
在日二世である父親の孫三憲は佐賀県鳥栖市に生まれ2017年現在福岡県で暮らしている[110]。子供の頃に父親の故郷である韓国の大邱に渡るも仕事が無く密入国の形で再び日本に住んでいる。一時期金融業や密造酒を家業としていた孫家は父親の方針の下、将来は韓国大統領を目指すよう教育されるなど非常に勉強熱心な家風であった[12][111]。「足が汚水につかるような場所で苦学して」部落を出て成功した。孫正義が中学生の頃に病気で倒れ、孫正義の1歳年上である兄の孫正明は高校を1年生で中退して家計を支えた。
15歳年下である末弟の孫泰蔵は実業家である。
脚注 編集
注釈 編集
- ^ 当初はヒューズ・エレクトロニクスやカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)と共にディレクTVの日本事業に参画する方向で調整していたが、出資比率を巡って、CCCなどと対立したため、破談となり、後にソフトバンク独自のデジタル衛星放送を自ら立ち上げることになった[24]。
- ^ 元NTTドコモ社長大星公二さん「私が会長の頃、ドコモの経営諮問機関であるアドバイザリーボードのメンバーを孫さんにお願いした。彼の著作や業績を高く評価し、入ってもらった。孫さんが一年後に「辞めさせてください」と言ってきた。なぜかと不思議だったが、しばらくして孫さんは通信分野に参入し、移動通信へと事業を広げていった。」[26]
- ^ 原子力発電の140万kWの発電能力に対して、 太陽光発電では1平方m程度の量産型パネルの発電能力は1kWで、しかも、発電自体さえも天候に依存する。そのため、現在の技術では再生可能エネルギーは原子力と圧倒的な発電能力差があり、「代替」させることは不可能だと結論づけられている[要出典]。
- ^ 2011年6月15日、孫も出席した「再生可能エネルギー促進法案成立緊急集会」で、菅直人が「国会には、菅の顔をもう見たくないと言う人が結構たくさんいる。それなら、この法案を早く通した方がいい。その作戦でいきます」と発言し、孫は「粘り倒して!この法案だけは絶対に通してほしい!」と叫んだ。
- ^ 「・・・仮に(買取価格が)40円(/kWh)で(買取期間が)20年だという試算をしたときに、二百数十ヵ所のうちの200ヵ所ほどは採算が合わないということで見送らざるを得ない。・・・その9割近くを見送らざるを得ないというほど、決して40円とか20年という数値が甘い数値ではなくて、それでもかなり多くの一般的な候補地が脱落してしまうほど、安易な軽いレベルのハードルではないことを、最初に申し上げさせていただきます。・・・少なくとも、40円の20年で試算したときに、二百数十ヵ所のうちの二百何ヵ所は、少なくとも造成コストうんぬんを数えたときに、われわれとしてはかなりこれは難しいなと。本当であれば42円、45円と言いたいところですが、これは一方、(消費者への負担との)バランスもありますので、やはり最低でも40円、20年というほどのものがないと」
- ^ 孫正義「僕は画家にも実は成りたかったんですよ。小学校の時ね。僕が成りたかった画家は貧乏画家なんですよ。要するにね、お金持ちの画家はもうその時点で堕落してると。人に売る為に絵を描くんじゃないと。展覧会に出す為に絵を描くんじゃないと。」
- 村上龍「どんな画家が好きだったんですか?」
- 孫正義「僕はあのーゴッホとかね。有名に成る前のゴッホ」
- 村上龍「ゴッホはだって貧乏な内に死んだんですよね」
- 孫正義「だからゴッホの様な生き様が一番尊敬できる生き様だと。要するに画家ならね」[104]
出典 編集
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- 井上篤夫『志高く 孫正義正伝 新版』実業之日本社〈実業之日本社文庫〉、2015年1月。ISBN 978-4408552156。
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- 佐野眞一『あんぽん 孫正義伝』小学館、2012年1月。ISBN 978-4093882316。
- 佐野眞一『あんぽん 孫正義伝』〈小学館文庫〉2014年9月。ISBN 978-4094060843。
関連項目 編集
外部リンク 編集
- ソフトバンクグループ株式会社
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先代 大森康彦 |
ソフトバンクグループ(旧:ソフトバンク)社長 1986年 - |
次代 (現任) |
先代 ウィリアム・ティー・モロー |
ソフトバンクモバイル(旧:ソフトバンク)社長 2006年 - 2015年 |
次代 宮内謙 |
先代 (設立) |
ヤフー(現・Zホールディングス)社長 1996年 |
次代 井上雅博 |
先代 鵜浦博夫 |
電気通信事業者協会会長 2014年 - 2015年 |
次代 宮内謙 |