宅部皇子
宅部皇子(やかべのみこ、生年不詳 - 用明天皇2年6月8日(587年7月18日))は、飛鳥時代の皇族。宣化天皇の皇子。皇女に上女王がいる。
宅部皇子 | |
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続柄 | 宣化天皇皇子 |
出生 |
不明 |
死去 |
用明天皇2年6月8日(587年7月18日) |
子女 | 上女王 |
父親 | 宣化天皇 |
経歴 編集
用明天皇2年(587年)用明天皇の崩御後、物部守屋が次期天皇として穴穂部皇子を擁立しようと謀る。しかし、策謀が漏れて、炊屋姫(のち推古天皇)を奉じた蘇我馬子の命令を受けた佐伯丹経手(さえき の にふて)・土師磐村(はじ の いわむら)・的真噛(いくは の まくい)により、穴穂部皇子と前後して暗殺された。宅部皇子は穴穂部皇子と親しかったために一緒に討たれたという[1]。
脚注 編集
- ^ 『日本書紀』用明天皇2年6月8日条
参考文献 編集
- 宇治谷孟『日本書紀 (下)』講談社学術文庫、1988年