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宇喜多 久家(うきた ひさいえ、生没年不詳)は、室町時代後期の人物。備前国の出身。赤松氏の被官、もしくは浦上氏被官であると考えられている。宇喜多宗家の子とも児島信徳の子とも言われるが定かではない。宇喜多能家宗因浮田国定の父。宇喜多興家宇喜多四郎の祖父。宇喜多直家の曽祖父。蔵人佐、三河守。

家督相続の時期などについては不明瞭だが、文明2年(1470年)に赤松政則の命で宇喜多宗家が西大寺に土地を寄進したという記録が西大寺文書に残されているので、少なくとも家督相続はこれ以後であると思われる。

宇喜多氏の出自の多くは不明であるが、この久家の頃から動向が比較的明らかになってくる。延徳4年(1492年)に西大寺へ寄進をしている。年不詳ながら難波豊前に討たれた父の遺領の相続を認める旨を伝える文書が残っている(この文書の文中、赤松政則諡号「松泉院」が使われているため、この文書は政則死後、明応5年(1496年)以後のものと思われる)。
また、明応8年(1499年)には子の能家が浦上則宗に仕えて活躍しており、久家の名前もこれ以後に全く見当たらないため、この頃にはすでに家督を能家に譲って隠居、もしくは既に没していたのではないかと推察される。

参考文献編集

  • 渡邊大門『戦国期浦上氏・宇喜多氏と地域権力』岩田書院、2011年。
  • 渡邊大門『宇喜多直家・秀家』ミネルヴァ書房、2011年。