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宇野ヘディング事件(うのヘディングじけん)[1]は、1981年8月26日後楽園球場で行われた読売ジャイアンツ中日ドラゴンズ19回戦における、中日ドラゴンズの宇野勝選手のエラーである。

概要編集

この日まで、巨人は前シーズンの1980年8月4日から連続試合得点記録が158試合続いており、この日は159試合目だった[2]。中日の先発・星野仙一はこの記録に対し、「オレが止める!」と並々ならぬ気迫で試合に臨んでいた。

試合は、星野の快投の前に巨人打線が沈黙し6回終了時まで僅か2安打無得点に抑えられていた。中日が2点リードで迎えた7回裏・二死二塁で、巨人監督の藤田元司はこの日無安打の1番・松本匡史の際に代打・山本功児を告げたが、山本の打球は力の無いポップフライとなり、遊撃手後方へ上がった。中日の遊撃手・宇野は打球を追いかけて後退しながら捕球態勢に入り、左翼手・大島康徳も宇野のすぐ後方まで前進してカバーの態勢を取りながら、宇野に捕球を任せていた。打球を確認した星野は捕球を確信し、三塁側ベンチへ引き揚げかけ、観客の中には席を立ちかける者もいた。

しかし、この後まさかの出来事が起きる。捕球体勢に入っていた宇野が捕球に失敗、打球はサッカーのヘディングのように宇野の右側頭部を直撃し、そのまま大きく放物線を描いて跳ね返ってから左翼フェンス際へ転々と転がった。宇野は頭を押さえて蹲り[3]、カバーに入っていた大島は慌てて大きく後逸した打球を追ってフェンス際へ走り、二塁手・正岡真二も急いで中継プレーの態勢に入った。三塁側ベンチへ戻りかけていた星野は思いがけない出来事に三塁と本塁間で呆然とした後に、慌ててバックアップのために本塁後方へ走り、捕手・中尾孝義は二塁走者・柳田真宏が一気に本塁へ生還するのを、青い顔をしたまま見つめるだけだった。ようやく大島が打球を処理し、正岡から中尾への懸命の中継プレーによって山本は本塁でアウトとなったが、二死のために柳田は山本が打った瞬間にスタートを切っており、巨人は159試合連続得点記録となった。

この突然の出来事に球場の観客は大爆笑となり、席を立ちかけていた者の中には再び着席して観戦を再開した者もいた。同点は防げたものの、記録阻止が出来なかった星野はカバーに入っていたバックネット前付近でグラブを地面に叩きつけた。その後、試合は両軍無得点のまま中日が2-1で勝利し、星野は狙っていた完封こそ逃したものの9回1失点(自責点0)で完投勝利を達成した。

試合後編集

星野はグラブを叩きつけたことに対して、取材陣に対し「同点になったらヘディングどころか自殺点だ。怒ったのは宇野に対してじゃない。完封が無くなったのが悔しかったから」と大人の対応を見せたが、怒ったもう一つの理由として小松辰雄と「どちらが先に巨人を完封するか」で10万円の賭けをしており[2]、星野は結果的に宇野のエラーで完封を逃した。「あとでカラダ空けとけ!」と怒り狂う星野に対し、宇野は「空いてません!」と必死に逃げたが、後年になって宇野は雑誌のインタビューにて、宇野を気遣った星野から「メシでも食いに行くか」と声をかけられたが、ちょうど田舎から兄が来ており、断ったと述べている[4]

宇野はこのプレーをきっかけに一夜にして時の人となり、宇野の元へは報道陣が多数詰め掛け取材申し込みが相次いだ。さらにこのプレーが「プロ野球ニュース」(フジテレビ)で、みのもんたが面白おかしくナレーションを入れて放送されたことをきっかけに、「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」がシーズン終了後に開始され「珍プレー」が定着。宇野自身「珍プレーの元祖」として番組に出演していた。

宇野はこのプレーについて、「ヘディング自体は翌日の新聞に記事にされることは覚悟していたが、それよりも「宇野 ヘディング『事件』」。事件と書かれたことには相当堪えた。そもそもの原因はスパイクのケン(歯)が人工芝に引っ掛かりそうになったためで、『事件』という表現には嫌な響きを感じた」と述べている[5]

巨人はその後、同年9月21日の対中日ドラゴンズ22回戦(ナゴヤ球場)で完封負けを喫し、連続試合得点記録が174試合で止まった。完封勝利を挙げたのは、奇しくも先述の賭博の相手である小松だった[2]

同日の出来事編集

その他編集

  • 宇野の引退後、名古屋の米穀会社、共和食品『山水米』の広告に出演した際には、米袋をヘディングするという演出があった[1]
  • 宇野は、5年後の1986年に自伝『ヘディング男のハチャメチャ人生』(海越出版社)を出版している。
  • TBS系のテレビ番組『風雲!たけし城』では、この事件をパロディにした『君も宇野君』というゲームがあった。
  • 宇野に先立って、広島東洋カープ山本浩二も同年4月19日の巨人戦でセンターフライを頭に当てて落球したことがある。しかし、大々的に取り上げられるのは現在に至るまで宇野の方である。

脚注編集

  1. ^ あるいは宇野ヘディングエラー。
  2. ^ a b c 【8月26日】1981年(昭56) 宇野勝ヘディング事件 星野仙一が怒ったもう一つの理由”. スポーツニッポン (2007年8月26日). 2012年8月23日閲覧。
  3. ^ 後に「はたで思うほど痛くなかった」と言う。別冊宝島『プロ野球名選手読本』(宝島社) P.260より。
  4. ^ 『ベースボールマガジン2005秋季号 80年代プロ野球 若大将たちの季節』(ベースボール・マガジン社) P.81 宇野本人へのインタビューより。
  5. ^ 日刊スポーツ連載コラム・伝説「型破り遊撃手・宇野勝のヘディング人生」(2009年9月15日)

関連項目編集

パロディ編集