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安保 能形(あぼ よしかた)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士出羽国櫛引郡余目[1]余目館主。

 
安保能形
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正3年(1575年
氏族 安保氏
兄弟 能形、与次郎

略歴編集

安保氏は出羽の国人。祖は安保忠実(直実)であり、武蔵七党丹党の流れを組み、高師直の家臣であったとされる。忠実が正平年間に入部し、以後安保氏は16代能形の代まで続いた。

安保氏は櫛引郡でも独立した勢力であったが、天正3年(1575年)に能形が病死すると、勢力拡大を目論む大宝寺義氏が余目に攻め入る。能形の弟である与次郎(田尻館主)が替わって指揮を執るが敗れ、討ち死にしたことで出羽安保氏は滅亡した。

余目館には以後、大宝寺家臣の梅木氏が入ったという。

脚注編集