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安倍おろし

2007年に自由民主党内で起こった安倍晋三内閣総理大臣に対する退陣要求

安倍おろし(あべおろし)は2007年自由民主党内で起こった安倍晋三内閣総理大臣に対する退陣要求。

経緯編集

第21回参議院議員通常選挙における自民党の敗北が濃厚になってきた時点で、青木幹雄森喜朗中川秀直の3人には、安倍を辞任させて、福田康夫を擁立してこの難局を乗り切ろうとする構想が存在した。

参院選で与党が惨敗したため、世間からは1989年参院選宇野宗佑首相の辞任や、1998年参院選橋本龍太郎首相の辞任のように内閣総辞職をして新首相が誕生すると見られていた。しかし安倍は投票日以前より続投の考えで[注釈 1]、退陣を否定した[1]

自民党総務会では安倍批判が火を噴き、石破茂は「私と小沢(一郎)代表のどちらが首相にふさわしいかの選挙だ」と言ったのに惨敗後も「使命を果たす」では国民への説明がつかないと容赦のない苦言を呈し、谷垣禎一、野田毅も安倍に矛先を向けた[2]。また谷垣派の園田博之後藤田正純らが安倍に政策変更をうながす会合を開き、派閥横断して反安倍グループを結成したと報道された。

安倍おろしは小泉純一郎前首相や麻生太郎外相などが首相続投を支持していたため[3]与党全体には拡大せず、安倍が内閣改造をおこなう構えをみせると退陣要求は沈静化した。

1989年や1998年参院選のときの首相退任はあくまで与党内の政治事情にもとづいている。しかし安倍は第168回国会所信表明演説を終え代表質問の直前の9月12日に辞意を表明し、9月25日第1次安倍改造内閣は総辞職した。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 政治ジャーナリストの後藤謙次がのちに安倍にインタビューしたところ、参院選は中間評価でありそこで政権を判定すると政権はどんどん代わらざるをえなくなると当時の心境を語り、人気があって、日露交渉が順調だったのに辞任した橋本の決断には疑問を呈していた[1]

出典編集

  1. ^ a b 後藤 2014, p. 66.
  2. ^ 後藤 2014, p. 67.
  3. ^ 後藤 2014, p. 65.

参考文献編集

  • 後藤謙次、2014、『幻滅の政権交代』第1刷、第3巻、 岩波書店〈ドキュメント 平成政治史〉 ISBN 978-4000281690

関連項目編集