安倍 吉人(あべ の よしひと)は、平安時代初期の貴族東山道観察使安倍兄雄の子とする系図がある。官位正四位下治部卿

 
安倍吉人
時代 平安時代初期
生誕 天応元年(781年[1]
死没 承和5年6月10日838年7月5日[1]
官位 正四位下治部卿
主君 嵯峨天皇淳和天皇仁明天皇
氏族 安倍(安部)朝臣
父母 父:安倍兄雄
房上、大家
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経歴 編集

弘仁14年(823年従五位下より従五位上に叙され、天長4年(827年正五位下、天長5年(828年従四位下と、淳和朝前半に順調に昇進する。また淳和朝では式部大輔を務めている。

天長10年(833年仁明天皇即位に伴い正四位下に昇叙される。宮内卿を経て、承和3年(836年)に治部卿に任ぜられる。承和5年(838年)6月10日卒去享年58。最終官位は治部卿正四位下。

式部大輔を務めたことや、若い頃の和気貞臣老荘を教授した話が伝わるなど[2]、学者であったとみられる。

官歴 編集

六国史』による。

系譜 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 日本後紀』承和5年6月10日条
  2. ^ 日本文徳天皇実録』仁寿3年4月14日条
  3. ^ a b 鈴木真年『百家系図稿』巻5,阿倍

参考文献 編集