安田臣(やすだ かたし、1911年9月11日 - 1977年2月9日)は日本人建築家建設省営繕局監督課長を経て、1963年に独立。建設省時代に手がけた大分県庁舎島根県庁舎及びその周辺整備計画にて日本建築学会賞を受賞した。山陰地方に多く作品が見られる。

略歴 編集

島根県邑智郡に生まれる。1937年(昭和12年)早稲田大学理工学部建築学科卒業。卒業後、同潤会技師を経て、住宅営団技師。戦後は広島県の戦災復興都市計画に参加。 建設省発足後は営繕局建築課建設専門官、九州地方建設局営繕部長を経て、1962年営繕局監督課長に就任。1963年に退官し、東京都港区赤坂に安田臣建設設計事務所を開設し、代表取締役となる。独立以後は、建設主事試験委員、一級建築士審査会委員、中央建築工審査会委員、早稲田大学理工学部講師などを歴任。1977年2月9日、胃がんのため、東京大学医学部附属病院にて死去。

主な作品 編集

  • 大分県庁舎
  • 島根県庁舎及びその周辺整備計画
  • 島根県民会館
  • 白鳥会館
  • プラザ佐治
  • 加茂町山村開発センター
  • 中小企業研修所本館
  • 匹見タウンホール
  • 島根会館(東京都渋谷区緑ヶ丘町)