安西マリア
安西 マリア(あんざい マリア、1953年〈昭和28年〉12月16日 - 2014年〈平成26年〉3月15日[5][6][7])は、日本の歌手、女優。東京都出身[7]。本名、柴崎 麻利子[8]。B80cm、W56cm、H82cm(1974年1月)[9]。身長158cm、B85、W57、H85[4]。血液型A型。趣味は映画鑑賞、ゴルフ、ネイルアート、特技は英語。死亡時点での所属事務所は10-POINTだった。
あんざい まりあ 安西 マリア | |
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本名 | 柴崎 麻利子[1] |
生年月日 | 1953年12月16日 |
没年月日 | 2014年3月15日(60歳没) |
出生地 |
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死没地 |
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血液型 | A |
ジャンル | 歌手、タレント |
活動期間 |
1973年 - 1978年[2] 2000年頃 - 2014年[3] |
主な作品 | |
ドラマ 『大江戸捜査網』 | |
受賞 | |
第15回日本レコード大賞新人賞受賞[4][2] | |
備考 | |
身長158cm B85、W57、H85[4] |
来歴・人物編集
ドイツ人とのクォーター(祖父がドイツ人)[3][10][11]。都内の高校を卒業後、銀座のクラブ「徳大寺」で働いているところを上条英男にスカウトされる[8][11][12][13]。銀座でホステスをやっていたことは、デビュー当初は隠していたため[9]、「高校卒業後、ブラブラしているところをスカウトされる」と書かれた文献もある[9]。東映『仁義なき戦い』登場人物のモデルにもなった竹野博士が社長を務める芸能事務所「竹野エージェンシー」に所属した[2][12][14][15][16][注 1]。また竹野は阪神タイガースに所属したこともある元プロ野球選手[17]。
1973年、“チョコレート・マリア”のキャッチフレーズで[2][11]、シングル「涙の太陽」(エミー・ジャクソンのカバー曲)で歌手デビュー[2][8][11]。このデビュー曲で50万枚以上を売り上げるヒットを記録[2]。同年(昭和48年度)大晦日の第15回日本レコード大賞で新人賞を受賞[2]。同じく新人賞を受賞したのは安西の他に桜田淳子(最優秀新人賞を獲得)、あべ静江、アグネス・チャン、浅田美代子の合計5人(全員女性歌手だった)。
エキゾチックな小顔と引き締まったプロポーションでグラビアにも登場して男性を魅了[12]。また音楽面でも高護は、「おしゃれな身のこなしと天性のリズム解釈は、いわゆる修練した『歌手』とは別の地平から生まれたもので、1974年の第5弾シングル「恋の爆弾」はバッド・ガール歌謡のひとつの完成型といえる」と高く評価している[8]。
1975年7月リリースのシングル「涙のジャニー・ギター/モナリザ」と、同名のアルバムを最後に東芝からビクターに移籍[11]。
1976年、松田優作主演の東映映画『暴力教室』で生徒にレイプされる女教師を演じる[11]。同年、所属事務所を「ホリプロ」から「竹野エージェンシー」に移籍[13][14]。これは安西が希望したもので[14]、2年後の裁判時に竹野が強気に出た理由の一つ[14]。
テレビ、映画などで活躍し人気を得るが1978年4月8日[14]、安西がレコーディングをすっぽかし[14]、失踪したことから[2][14]、事務所から失踪届が出て[14]、1978年4月21日に安西と元マネージャーKと弁護士が麻布署に現れ、「暴行、強要に被害届」を提出し[13][14]、事務所とのトラブルが発覚し裁判沙汰となり[2][8][10][11][12][14]、芸能史に残る大事件に発展した[14]。裁判では安西側から竹野が元暴力団員だったと暴露があり[14]、これに対抗して竹野側から当時安西の父親はパンナム航空社員と伝えられていたが[14]、この人は養父で、実父は竹野同様、暴〇団絡みの興行師で当時はフィリピン在住などと暴露合戦の泥試合となった[14]。実父が竹野と裁判所以外で交渉を持った際、足を洗った竹野が実父を追い払い強気に出た[14]。看板タレントにマネージャーが手を出し、竹野が暴行を働いたのも事実で[2][14]、安西は竹野が怖くて逃げ出したものだったが、当時の芸能界関係者は元ヤ〇ザはザラ[14]。竹野の経歴はベテラン芸能記者には周知の事実で、安西側を擁護する論調はマスメディアからはほとんど出なかった[14]。竹中労は「芸能界に実演というものがある限り、暴〇団と手を切ることは出来ない相談なんです。芸能プロ側も実演なしでは食っていけない。一流タレントでもテレビの出演料は僅かです。レコードが売れても音楽出版権は各テレビ、ラジオ局が作った音楽出版社にほとんど取られてしまう。原盤権や歌唱印税も群がる関係先に吸い取られてしまう。ところが実演は日だてで、200万は上がる。そういう実演を引き受ける興行屋のほとんどは暴〇団か、それに深い繋がりを持つからです」などと解説した[14]。翌1979年に竹野に懲役10ヶ月(執行猶予3年)の判決が言い渡された[10]。
1978年を以て引退し[2][10][12]、ハワイへ移住した[2][10][11]。1983年に先のKマネージャーと結婚し[2][10][11][12]、一男をもうけるが、3年で離婚[2]。2000年頃に芸能界に復帰し[3][8][10]、ジュエリーの発表やライヴショーなどの活動を展開[10]。2013年にテレビ番組で自らうつ病を発症していたことを告白した[3]。
2014年3月8日午後、所属事務所より詳細な病状がFAXで報道各社に報告された[18]。2月20日に自宅で異常を訴えて救急搬送され、搬送直後に急性心筋梗塞と診断された[18]。3月8日の安西の所属事務所からのFAXの時点で自力呼吸は出来る状態であるとされていた[18]。同日午前のスポーツニッポンの報道で、安西は約1時間にわたって心臓が停止し一旦は蘇生したが、脳死状態に移行したことが報じられた[3]。 翌週3月15日夜、都内の病院で急性心筋梗塞のため死亡[6]。翌16日に安西の所属事務所より公表された[5][6]。60歳没。
突然の死に、安西と同じく1973年末の日本レコード大賞・新人賞を獲得したアグネス・チャンとあべ静江の2人も共に大きなショックを受け、各自身のブログで哀別のコメントを発表した[19]。
ディスコグラフィ編集
シングル編集
# | 発売日 | A/B面 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 規格品番 |
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東芝音楽工業→東芝EMI | |||||||
1 | 1973年 7月5日 |
A面 | 涙の太陽 | 湯川れい子 | 中島安敏 | 川口真 | TP-2870 |
B面 | 砂に消えた涙 | 漣健児 | P.Soffici | ||||
2 | 1973年 9月20日 |
A面 | 愛のビーナス | 千家和也 | 鈴木邦彦 | TP-2916 | |
B面 | 泪にかえて | ||||||
3 | 1974年 1月20日 |
A面 | 針のくちづけ | 鈴木邦彦 | TP-2975 | ||
B面 | 誘惑の年頃 | ||||||
4 | 1974年 5月5日 |
A面 | 早いもの勝 | TP-20003 | |||
B面 | ためらう年頃 | ||||||
5 | 1974年 9月5日 |
A面 | 恋の爆弾 | 安井かずみ | かまやつひろし | 柳田ヒロ | TP-20049 |
B面 | エンド・マーク | ||||||
6 | 1975年 3月20日 |
A面 | あなたに敗けそう | なかにし礼 | 井上忠夫 | 川口真 | TP-20115 |
B面 | 遠い愛情 | ||||||
7 | 1975年 7月20日 |
A面 | 涙のジャニー・ギター | V.Young | TP-20159 | ||
B面 | モナリザ | J.Livingston | |||||
ビクター | |||||||
8 | 1976年 8月1日 |
A面 | サヨナラ・ハーバーライト | 橋本淳 | 響わたる | あかのたちお | SV-6039 |
B面 | 海辺の誘惑 | ||||||
9 | 1976年 12月1日 |
A面 | センチメンタル・グループ・サウンズ | 馬飼野康二 | SV-6126 | ||
B面 | やけっぱちロック | ||||||
10 | 1977年 7月1日 |
A面 | 南十字星 | 中山大三郎 | 高田弘 | SV-6232 | |
B面 | 想い出のサンセット | ||||||
11 | 1978年 2月1日 |
A面 | 恋のスイング | 来生えつこ | 来生たかお | 水谷公生 | SV-6360 |
B面 | アイ・ウォント アイ・ニード アイ・ラブ・ユー |
荒木一郎 | アイ高野 | 萩田光雄 |
- その他のシングル
- ひと足お先に(1978年、ビクター)※幻のラスト・シングル
アルバム編集
- マリア登場 / 涙の太陽(1973年8月5日、東芝音楽工業)
- 早いもの勝 (1974年、東芝EMI)
- 涙のジャーニー・ギター (1975年、東芝EMI)
- マリア・グラフィティ (1977年、ビクター音楽産業)
- 夏はケ・セラ・セラ(2006年7月1日/ベルグ、BERG-1216)
出演編集
映画編集
テレビドラマ編集
- 金曜ドラマ 別れの午後(1973年10月 - 、TBS、若尾文子 主演)
- バーディー大作戦(1974年5月 - 、TBS、丹波哲郎 主演) - ミッチー 役
- 事件狩り(1974年5月 - 、TBS、石立鉄男 主演)第4話「夜明けのさよなら」
- 幸福ゆき(1975年、TBS)
- 非情のライセンス 第2シリーズ 第93話「兇悪のM16自動小銃」(1976年、NET、天知茂 主演) - 菊池真理 役
- 子連れ狼 第3部 第7話「忍五輪」(1976年、NTV、萬屋錦之介 主演) - 茜 役
- 五街道まっしぐら!(1976年10月 - 、NET、村野武範 主演) - かがり 役
- 駆けろ!八百八町(1977年、NET) - お雪 役
- 銀河テレビ小説 駱駝の夢(1976年3月 - 、NHK、米倉斉加年 主演)
- 大江戸捜査網(1977年-1978年、東京12チャンネル、里見浩太朗 主演)第307話「初見参お銀仇討ち始末」〜第334話「むすめ隠密涙の旅立ち」 - 隠密同心・はやぶさお銀 役
ビデオ・DVD編集
- 大江戸捜査網〜初見参お銀 仇討ち始末〜(2000年、バップ)
- ルパン三世 念力珍作戦(2004年、東宝ビデオ)
- 暴力教室(2005年、東映ビデオ)
写真集編集
- Dear.M(2012年11月30日、竹書房、撮影:佐藤健)ISBN 978-4812492628
- 「60-Maria Sixty-」(2013年11月20日、双葉社)
脚注編集
注釈編集
- ^ 『仁義なき戦い 完結篇』の劇中、松村保(演:北大路欣也)が、大阪西成の南海天王寺線今池町駅付近の踏切で銃撃を受けるシーンがあるが、竹野はこの車にも同乗した元広島ヤ〇ザ[16]。
出典編集
- ^ 安西マリアさん死去=歌手「涙の太陽」がヒット-60歳 - 時事通信 2014年3月16日
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 脚光、失踪、離婚…安西マリアさん、波乱万丈だった生涯 - スポーツニッポン 2014年3月16日
- ^ a b c d e “安西マリア 脳死状態 延命措置取らず”. Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2014年3月8日) 2014年3月16日閲覧。
- ^ a b c 10-POINT|安西マリアプロフィール(Internet Archive)
- ^ a b 安西マリアさん死去…先月20日に心筋梗塞で倒れ、帰らぬ人に - スポーツニッポン 2014年3月16日
- ^ a b c 安西マリアさん死去 60歳 - デイリースポーツ 2014年3月16日
- ^ a b 歌手の安西マリアさん死去 ヒット曲「涙の太陽」 - 朝日新聞 2014年3月16日、追悼2014 もう一度、逢いたくて
- ^ a b c d e f 高護 『Hotwax presents 歌謡曲名曲名盤ガイド 歌謡曲番外地 Vol.1』シンコーミュージック・エンタテイメント、2007年、44–45頁。ISBN 978-4-401-75112-9。
- ^ a b c “『フィンガー歌手 ナナヨン型もよろしく 福を招こう』 お見通しです 金井克子 B89cm、W58cm、H91cm ねらい撃ちョ 山本リンダ B86cm、W58cm、H89cm おいでおいで 夏木マリ B90cm、W60cm、H90cm オー女神さま 安西マリア B80cm、W56cm、H82cm 8年目の浮世 内田あかり B85cm、W58cm、H80cm ”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1974年1月3日)
- ^ a b c d e f g h 危篤1カ月 安西マリアさん死去
- ^ a b c d e f g h i リットーミュージック 2021.06.01 セクシー歌謡全盛時代(3) 「第3の女」 安西マリアの行状録
- ^ a b c d e f 伝説の歌姫・安西マリア 「お蔵入りヘアヌード写真集」解禁、風吹ジュンは誘拐されホテルで軟禁… 昔、芸能人の事務所移籍はこんなに大変だった《脱法芸能15》安西マリア失踪事件(1)──露呈した芸能界の暴力団汚染、芸能記者稼業 血風録 安西マリア「愛の逃避行」を追ってマスコミはカーチェイス、【premium限定連載】芸能評論家・二田一比古の芸能ゴシップ 今昔物語芸能取材で暴力団に邂逅――安西マリアとコワモテの“点と線”と古き良き芸能界、60歳で逝った故・安西マリアさんの心残り、夜の世界から華麗なる転身!シンデレラ芸能美女7人の現在、故・安西マリアさんが先駆けとなったお水からの芸能界転身、60歳で逝った故・安西マリアさんの心残り
- ^ a b c 吉田豪「上条英男インタビュー」 『超 人間コク宝』コアマガジン、2020年、35–48頁。ISBN 978-4-86653-435-0。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 「安西マリアの社長が『暴力団』だなんて一言もいわなかった芸能記者」『週刊新潮』1978年5月25日号、新潮社、35–41頁。
- ^ 「〈ワイド/話題人間の艶聞怏談〉 3 法廷で明らかにされた芸能界の"内幕"と"恥部" 安西マリアの『作詞家に寝ろと言われた』発言の波紋」『週刊ポスト』1978年8月25日号、小学館、33–34頁。
- ^ a b 芹沢耕二 著、創雄社・実話時代編集部 編 『実録「仁義なき戦い」・戦場の主役たち これは映画ではない!』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、1998年2月1日、25、40、132–135、154–156頁。ISBN 9784896913026。 NCID BA38103214。OCLC 166637371。【本編公開20分】伝説の親分②元三代目共政会理事長 竹野博士が語る広島抗争
- ^ 竹野博士 | 在籍選手成績 | 80周年史
- ^ a b c 安西マリア、所属事務所が詳細を報告「予断を許さない状況」 搬送直後は「急性心筋梗塞」と診断 - オリコン 2014年3月8日
- ^ 安西マリア死去!「まだ実感がわかない」(あべ静江)、「ショックで言葉が見つからない」(アグネス・チャン)- J-CAST 2014年3月8日