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安部 和春(あべ かずはる、1940年4月7日 - )は、大分県速見郡山香町(現:杵築市[1]出身の元プロ野球選手

安部 和春
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県速見郡山香町(現:杵築市
生年月日 (1940-04-07) 1940年4月7日(79歳)
身長
体重
181 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1959年
初出場 1962年
最終出場 1969年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物編集

1959年、杵築商業高校在学中に西鉄ライオンズの入団テストに合格し入団。杵築商業高校から博多高等学校に転校し日曜日のみ2軍の練習に参加した[1]

その後、1962年に一軍初登板を記録するも右手を故障。この故障をきっかけに「アベボール」と呼ばれる変化球を開発した[1]。この「アベボール」は微妙に変化する変化球であった[1]。翌1963年は中継ぎを中心に10勝、1964年は先発・中継ぎ双方をこなして11勝と2年連続で二桁勝利をあげた。特に、1963年は西鉄のリーグ優勝に大きく貢献した[1]。同年の読売ジャイアンツとの日本シリーズでは4試合に登板。第1戦では1回に負傷降板の田中勉を急遽リリーフするが、王貞治に本塁打を浴び敗戦投手となる。しかし第4戦では4回から田中勉を好リリーフ、自身の日本シリーズ初勝利を記録した。

1965年は、再び中継ぎ中心の登板に戻る。同年オフに本間勝とのトレードで阪神タイガースに移籍。移籍後も中継ぎを中心に登板し投手陣を支えた。1969年は1試合の登板に終わり、同年オフに現役を引退した。現在は博多区上川端町で、スナックのマスターを務める[1]

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1962 西鉄 9 3 1 1 1 1 1 -- -- .500 94 25.0 19 2 2 0 1 4 1 1 7 7 2.52 0.84
1963 53 3 0 0 0 10 1 -- -- .909 564 144.0 101 11 43 3 7 64 3 0 30 28 1.75 1.00
1964 49 19 5 3 1 11 5 -- -- .688 728 177.0 152 9 56 2 9 55 0 0 63 54 2.75 1.18
1965 40 5 0 0 0 4 6 -- -- .400 378 90.0 92 11 21 0 1 27 2 0 41 36 3.60 1.26
1966 阪神 29 8 1 1 0 5 5 -- -- .500 337 78.1 76 2 35 0 5 22 1 0 36 30 3.46 1.42
1967 24 2 0 0 0 3 5 -- -- .375 182 43.1 41 5 16 1 0 25 0 0 20 15 3.14 1.32
1968 20 3 0 0 0 2 3 -- -- .400 176 43.0 40 3 10 0 1 23 0 0 15 14 2.93 1.16
1969 1 0 0 0 0 0 0 -- -- .000 4 1.0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0.00 1.00
通算:8年 225 43 7 5 2 36 26 -- -- .581 2463 601.2 522 43 183 6 24 220 7 1 212 184 2.75 1.17

背番号編集

  • 14(1960年 - 1969年)

脚注編集

  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、15ページ

関連項目編集

外部リンク編集