安雅堂画塾(あんがどうがじゅく)とは明治時代松本楓湖が開設した日本画画塾である。

概要編集

浅草栄久町に明治10年代に松本楓湖が自宅に開いた画塾であり、楓湖が師事した菊池容斎から受け継いだ自由放任主義によって細かい規制はせずに各々の個性を伸ばすように門下を導いたため、村岡桜塘を筆頭に多数の秀でた子弟を輩出した。楓湖は明治20年代までチョン髷姿で通し、一貫して歴史画を描いたため旧派の画家と見なされがちであったが、保守的な日本美術協会には反対で、視野を広く海外にまで向け、明治19年11月には楓湖が発起人となって当時活躍中の画家の作品を募集、ニューヨークパリに回送して、日本画の海外での正当な評価に努めた。明治29年には門下の村岡桜塘らを発起人に巽画会を結成させる。巽画会は後に上野竹の台五号館において展覧会を行うまでに成長していった。楓湖は浅草茅町から谷中清水町へと移ったが、その間の門人は249人であったとされており、その中から今村紫紅高橋広湖中島光村上原古年鴨下晁湖速水御舟高橋松亭小茂田青樹田中以知庵富取風堂らといった次代の日本美術院を担う画家たちが育っていった。

参考文献編集

  • 日本美術院百年史編集室編 『日本美術院百年史一巻 上』図版編 日本美術院、1989年