現在宋玉の作品として伝えられるものは、
- 『楚辞章句』の「九弁」「招魂」
- 『文選』の「高唐賦」「神女賦」「登徒子好色賦」「対楚王問」
- 『古文苑』の「笛賦」「大言賦」「小言賦」「諷賦」「釣賦」「舞賦」
また、「宋玉賦十六篇」[2]や「宋玉集三巻」[3]も作ったとされるが、これらの作品がどういう内容のものなのかは明らかではない。
- ^ 東晋の習鑿歯の『襄陽耆旧記』巻1に、「宋玉は、楚の鄢の人なり。故に宜城に宋玉の塚在り。始め屈原に事ふ。屈原は、既に放逐せられ、楚に事ふるを友の景差に求む。景差は、其の己に勝るを懼れ、之を王に言う。王以て小臣と為す」とある。
- ^ 『漢書』巻30、芸文志第10に「宋玉賦十六篇。楚人、與唐勒並時、在屈原後也。」とある。
- ^ 『隋書』巻35、志第30 経籍4に、「楚大夫宋玉集三巻」とある。