官職の唐風改称
官職の唐風改称(かんしょくの とうふう かいしょう)とは、天平宝字2年(758年)当時の実力者藤原仲麻呂(恵美押勝)によって推進された、中央の官司名や職名を唐風に改称した政策である。
経緯編集
仲麻呂は光明皇太后の力を借りて朝廷を次第に掌握していった。仲麻呂は大陸の先進文化の導入に非常に意欲的だった。天平宝字2年(758年)に淳仁天皇が即位すると政治の全権を握り朝廷の唐風化を積極的に推進していった。これらは仲麻呂の敗死によってすべて旧制に戻されたものの、慣用的に唐名として後世に残ったものもある。
改称した官司・官職の一覧編集
官司編集
- 太政官 → 乾政官
- 紫微中台 → 坤宮官
- 中務省 → 信部省
- 式部省 → 文部省(ぶんぶしょう)
- 治部省 → 礼部省
- 民部省 → 仁部省
- 兵部省 → 武部省
- 刑部省 → 義部省
- 大蔵省 → 節部省
- 宮内省 → 智部省
- 図書寮 → 内史局
- 陰陽寮 → 大史局
- 弾正台 → 糾政台
- 衛士府 → 勇士衛
- 衛門府 → 司衛門
- 兵衛府 → 虎賁衛(こほんえい)
- 中衛府 → 鎮国衛
官職編集
その他編集
官職の唐風改称と関連して以下の事柄も唐風になった。