宜倫郡主
宜倫郡主(ぎりんぐんしゅ、1378年以前 - 1449年以後)は、明の懿文太子朱標の次女。建文帝の姉。
宜倫郡主 | |
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続柄 | 建文帝姉 |
称号 | 宜倫郡主 |
身位 | 公主→郡主 |
配偶者 | 于礼 |
父親 | 懿文太子朱標 |
経歴
編集実母については記録がない。側室が公主の生母だったと思われるが、太子妃常氏の可能性もある。
永楽帝が即位すると、公主から郡主に降格された。永楽15年(1417年)に40歳を過ぎて、正六品錦衣衛百戸の于礼と結婚した。正統14年(1449年)、既に高齢で体も衰えたので、先に墓地の賜予を請求したが、英宗に断わられた。
南明において弘光元年(1645年)、公主に追復された。
伝記資料
編集- 『東宮妃常氏墓志』
- 『明英宗実録』
- 『明成祖実録』