宝仙寺
宝仙寺(ほうせんじ)は、東京都中野区中央二丁目にある真言宗豊山派の寺院。
宝仙寺 | |
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![]() 山門 | |
所在地 | 東京都中野区中央2-33-3 |
位置 | 北緯35度41分56秒 東経139度40分46秒 / 北緯35.69889度 東経139.67944度座標: 北緯35度41分56秒 東経139度40分46秒 / 北緯35.69889度 東経139.67944度 |
山号 | 明王山(みょうおうざん) |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 不動明王(秘仏) |
創建年 | 寛治年間(1087年 - 1093年) |
開基 | 源義家 |
正式名 | 明王山 聖無動院 宝仙寺 |
札所等 |
関東三十六不動 15番 御府内八十八箇所 12番 |
地図 | |
法人番号 | 5011205000317 |
中野区でも屈指の広大な寺院で、千年近くの歴史を誇る古刹である。山号は明王山(みょうおうざん)。戦前は当時の中野町役場も置かれていた。また、著名人の葬儀・告別式も多く執り行われることでも有名な寺院である。また、節分の僧兵行列も趣き深い。
目次
歴史編集
寛治年間、源義家によって現在の杉並区・阿佐ヶ谷にて開かれた[1]。本尊は、義家が後三年の役の際に護持していた不動明王像で、良弁作と伝えられる。
また宝仙寺は、同じ杉並区の大宮八幡宮の別当寺となった。本尊は鎌倉時代には秘仏になった。室町時代になり、現在の位置に移転した(1429年)[2]。 江戸時代には、優れた僧を出し、歴代の将軍から厚い保護を受け発展した。また、当寺院の僧侶が将軍の御前論議に参加することもあった。また将軍家が鷹狩りに出た際の休憩所としても利用された。明治期以降、境内には中野町(現在の中野区)の役場が置かれていた。戦災を被ったものの、戦後再建され、三重塔や本堂を見ることができる。
施設・史跡編集
- 三重塔 - 江戸六塔の一つ。寛永13年(1636年)に建立されたが、昭和20年(1945年)5月25日の空襲により焼失[3]。平成4年(1992年)に法起寺三重塔を模した飛鳥様式で再建された。塔内には胎蔵界五仏が安置されている。
- 中野町役場跡の石碑
- 山門の仁王像
- 堀江家の墓 - 当寺院の檀家総代でもある堀江家は平安時代から代々中野一帯を開拓していった草分け地主であった。現在は断絶している。
三重塔。左は中野町役場跡碑