宝鏡寺(ほうきょうじ)は、京都市上京区にある禅宗寺院。宗旨は臨済宗系の単立。近世には皇女が入寺する尼門跡寺院であった。山号は西山(せいざん)。人形寺(にんぎょうでら)[1]人形の寺[2]とも呼ばれる。普段は拝観できないが、定期的に特別拝観が行われる。

 宝鏡寺
Houkyoji NingyoZuka.jpg
人形塚
所在地 京都府京都市上京区寺之内通堀川東入百々町547
位置 北緯35度2分2.54秒
東経135度45分9.87秒
山号 西山
宗派 臨済宗系単立
本尊 聖観音菩薩
創建年 応安年間(1368年1375年頃)
開基 華林宮惠厳
別称 百々御所、人形寺
札所等 神仏霊場巡拝の道第97番
公式HP 旧百々御所宝鏡寺
法人番号 7130005001833 ウィキデータを編集
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歴史編集

 
山門

光厳天皇皇女華林宮惠厳(かりんのみやえごん)は、無学祖元鎌倉円覚寺開山)の弟子にあたる尼僧・無外如大が京都の五辻大宮(現・京都市上京区)に開いた尼五山筆頭景愛寺の6代寺持であった[2]室町時代応安年間(1368年 - 1375年)、伊勢二見浦にて漁網に掛かった聖観世音菩薩を景愛寺子院の建福尼寺に安置し、建福寺を改めて宝鏡寺と称した[2]。これには、足利義政の娘が文亀年間(1501 - 1504年)に再興したとする別伝もある[3][4]

足利義満の時代、隣地には小川御所があったとされ、義満母の紀良子、義満実弟の満詮の別宅だったというが、応仁の乱1467年-1477年)の折、戦禍から後土御門天皇足利義政室の日野富子が逃げ込んでいた。後に後嗣を巡る争い(明応の政変)で御殿は焼かれてしまい、跡地は宝鏡寺に取り込まれた。

正保3年(1646年)、後水尾天皇皇女の理昌女王(久厳尼)が入寺して以降、代々の皇女が入寺する尼門跡寺院となり、土地の名前から「百々御所」(どどのごしょ)とも呼ばれたが、天明8年(1788年)焼失。以降再建された現在の建物群は尼門跡寺院の構成をよく伝えている[5]

人形編集

京都の尼門跡寺院には、内親王が入寺することが多く、父である天皇から人形が贈られたとされ、宝鏡寺も孝明天皇遺愛の人形をはじめ[1]、多くの人形を所蔵している[2][6]。それらの人形を一般公開する人形展が昭和32年(1957年)から実施されるようになった[2]。また、その後人形供養が行われるようになり、昭和34年(1959年)には京人形の振興を目的として[6]境内に人形塚が建立された[2]。人形塚には御所人形像と武者小路実篤の歌が刻まれている[6]。これらのことから、人形の寺[2]と通称されるようになった。

伽藍編集

 
大玄関付近
  • 書院
  • 本堂
  • 阿弥陀堂

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 宝鏡寺(人形の寺)”. 京都府観光連盟. 2018年10月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 宝鏡寺の歴史”. 百々御所宝鏡寺. 2018年10月19日閲覧。
  3. ^ 『日本歴史地名大系 京都市の地名』(平凡社、1979)「宝鏡寺」の項による。
  4. ^ 京都市観光情報システム>宝鏡寺』 - 京都市産業観光局観光部観光企画課
  5. ^ 門前にある「京都市指定有形文化財平成6年4月1日指定『宝鏡寺六棟(書院、本堂、使者の間、玄関、阿弥陀堂、表門)』説明板」。
  6. ^ a b c 人形供養について”. 百々御所宝鏡寺. 2018年10月19日閲覧。

外部リンク編集