宣姜(せんきょう、生没年不詳)は、中国春秋時代宣公の夫人。宣姜の宣は「衛の宣公の夫人」の意で、姜は母国である斉の国姓であり、つまり「衛の宣公の夫人姜氏」という意味である。

宣姜
の公爵夫人

配偶者 宣公
昭伯
子女 公子寿
恵公
斉子
戴公
文公
宋桓公夫人
許穆公夫人
氏族 姜姓呂氏
父親 釐公
出身諸侯国
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生涯

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定かではないが、斉の釐公の娘と思われる。

衛の宣公の太子である太子伋の妻となるため、衛に迎えられた。しかし、宣姜があまりにも美人であったため、衛の宣公が彼女を先に気に入ってしまい、自分の妻にしてその間に寿と朔の2子を産ませた。これによって宣公の先妻であった夷姜が自殺し、その子であった太子伋が次第に邪魔な存在となっていく。そこで宣姜は息子の公子朔と共謀して太子伋にあらぬ疑いをかけ、宣公に讒言した。実は宣公の方でも太子伋から女を奪ったということもあり、ちょうど廃嫡したかったので、太子伋を斉へ使いに出したついでに盗賊に殺させることにした。

一方、宣姜の長男である公子寿はこのことを太子伋に密告し、国を去ることを勧めた。しかし太子伋がそれを拒んだため、公子寿は太子伋の出立前に酒を飲ませておき、自分が太子伋の身代わりとなるべく白旄を持って莘(衛の国境の地)へ向かった。盗賊は白旄を見て太子伋だと思い、公子寿を殺した。遅れてやってきた太子伋は「お前たちが狙っているのはこの私だ」といい、彼も盗賊に殺された。

こうして邪魔な太子伋を排除した宣姜は宣公の正妻となり、次男の公子朔を太子に立てた。翌年(前700年)、宣公が薨去したので、太子朔がそのまま衛君(恵公)に即位した。即位した恵公はまだ年少であったため、衛の国人はその庶兄である公子頑(昭伯)に宣姜と再婚させ、その間に斉子・公孫申(戴公)・公孫燬(文公)・宋の桓公夫人・許の穆公夫人を産ませた。

夫子

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宣公との子

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  • 公子寿
  • 恵公(朔)…第16、18代衛の君主

昭伯との子

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  • 斉子
  • 戴公(申)…第20代衛の君主
  • 文公(燬)…第21代衛の君主
  • 宋桓公夫人…桓公の夫人
  • 許穆公夫人…穆公の夫人

参考資料

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