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宮城県沖地震 (1978年)

宮城県沖地震 (1978年)(みやぎけんおきじしん (1978ねん))は、1978年昭和53年)6月12日の17時14分25秒(JST)に発生したマグニチュード7.4(Mw7.5[2])の地震。最大震度仙台市などで観測した震度5(強震)であり、東京でも震度4(中震)を記録した。平均37.1年の間隔で[3]複数回起きた宮城県沖地震の一つである。

宮城県沖地震
宮城県沖地震 (1978年)の位置(日本内)
宮城県沖地震 (1978年)
地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日 1978年6月12日
発生時刻 17時14分25秒 (JST)
震央 日本の旗 日本 宮城県仙台市の東方沖約100km (気象庁発表)
北緯38度9分
東経142度10分地図[1]
震源の深さ 40km
規模    マグニチュード(M)7.4
最大震度    震度5:宮城県仙台市など
津波 仙台港等で最大30センチ
地震の種類 海溝型地震衝上断層
余震
最大余震 同年6月14日 20時34分
M6.3 最大震度4
被害
死傷者数 死者28名
負傷者1325人
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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目次

各地の震度編集

加速度編集

地震の際に、東北大学工学部建設系研究棟の1階並びに9階に併設されたSMAC強震計により、地盤と建物の揺れが計測されている。9階南北成分の最大加速度は1040ガルを記録し、建物上の観測としては当時の世界最大であった。東北大学工学部の研究グループはこの計測値を元に建物の応答や損傷に対する解析を行った[4]

被害編集

画像外部リンク
  宮城県沖地震(1978年)アマナ
  河北新報紙面で振り返る大災害河北新報社
  • 死者28名(ブロック塀などの下敷き18名)
  • 負傷者1325人
  • 建物の全半壊7400戸
  • 停電70万戸
  • 断水7000戸

都市ガス仙台市ガス局・塩釜ガス・石巻ガス・古川ガス)が13万戸で供給停止となった。仙台市ガス局のガスホルダーが地震で崩壊炎上したためガス供給に支障をきたした、老朽化または手抜き工事だったブロック塀の倒壊、1960年代に造成された新興住宅街緑ヶ丘など)の地盤崩壊、水田地帯を開発した卸町地区では液状化現象が発生しビルの倒壊や傾斜が見られるなど、宮城県内(特に仙台市)を中心に大きな被害が生じた。仙台市内(旧宮城町泉市秋保町(現在の青葉区泉区太白区)の区域を含む)の住家の被害は全半壊が4385戸、部分壊が8万6010戸に上る。

交通では、国鉄が全面運休となり運行再開に1週間程度かかっている。仙台市営バス宮城交通バスは地震発生直後に運行を再開していたが、停電により交通信号が機能しなくなったため、警察官による手信号が行われていたが、夕方の帰宅ラッシュとも重なり交通渋滞が激しくなり、道路交通は深夜まで麻痺状態だった。

この地震では、ライフライン等が停止し都市生活が麻痺した。これは、50万人以上の大都市(当時旧仙台市は人口およそ65万人)が経験した初めての都市型地震災害であるとも言われている。

仙台市では電気・水道・固定電話は8日目までにほぼ復旧を見たもののガスの復旧率が99%を超えたのは地震発生後27日目であった。

6月12日は宮城県では「県民防災の日」とされ、地震に備えた防災訓練がなされる。また、東北放送ラジオでは、毎日夕方17時14分になると「1978年6月12日、宮城県沖地震が発生した時間」であることが冒頭でアナウンスされる地震防災番組が放送されている。

法制度への影響編集

家屋倒壊被害が甚大であったために3年後の1981年の建築基準法の改正につながった。この改正の要旨は、建築物の耐震基準の強化で「震度5強程度の中規模地震では軽微な損傷、震度6強から7程度の大規模地震でも倒壊は免れる」強さとすることを義務づけたものである。

マスコミ等の反応編集

  • 東北放送NHK仙台放送局はラジオで特別番組を編成し、安否情報を放送した。しかしテレビでは大半の番組がほぼ通常通りに放送された。
  • その当時在仙のテレビ局は、カメラ撮影を主にフィルム撮影で行なっていた。地震の影響で局内にあったフィルム現像機に被害があり、現像が不可能になった経緯からENG (放送)に移行するきっかけになった。

脚注編集

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  1. ^ 宮城県沖地震と直轄行動の管理、1978宮城県沖地震 (PDF) 」 、『道路』第451号、日本道路協会、1978年9月、 36-39頁、 ISSN 00125571
  2. ^ 山中佳子、菊池正幸(2005)
  3. ^ 想定される宮城県沖地震の資料 仙台管区気象台
  4. ^ 柴田明徳「振動解析と構造設計 (PDF) 」 、『コンクリート工学』第19巻第7号、日本コンクリート工学会1981年7月、 55-59頁、 ISSN 038710612014年5月15日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集