神通川(じんずうがわ[1][2]、じんづうがわ、じんつうがわ[3][注 1])は、岐阜県及び富山県を流れる一級河川1969年4月1日指定[5])で、神通川水系の本流。上流域は宮川(みやがわ)と呼ばれる[6]

神通川
神通川 2006年7月4日撮影
宮川 2015年2月2日撮影
(上段)夏の神通川
(大沢野大橋(富山市)からの眺め)
(下段)冬の宮川
(古川大橋(飛騨市)からの眺め)
水系 一級水系 神通川
種別 一級河川
延長 120 km
平均流量 163.6 m³/s
(神通大橋観測所 2002年)
流域面積 2,720 km²
水源 川上岳
水源の標高 1,626 m
河口・合流先 富山湾(富山県富山市)
流域 日本の旗 日本
岐阜県富山県
地図
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地理 編集

神通川(宮川)・概略図
 
川上岳付近
 
(一)県道宮清見線(大橋)
 
(一)県道宮清見線(鱒渕橋)
 
(一)県道宮清見線(駒渕橋)
 
(一)県道宮清見線(中河原橋)
 
JR高山本線(第十七宮川橋梁)
 
常泉寺川
 
国道41号(松橋)
 
JR高山本線(第十六宮川橋梁)
 
JR高山本線(第十五宮川橋梁)
 
阿矢谷川
 
(一)県道岩井高山停車場線(筏橋)
 
国道158号(鍛治橋)
 
江名子川
 
(一)県道町方高山線(万人橋)
 
大八賀川
 
(一)県道石浦陣屋下切線(松本橋)
 
苔川
 
(主)県道高山上宝線(宮川大橋)
 
川上川
 
小八賀川
 
JR高山本線(第十四宮川橋梁)
 
あじめ峡
 
糠塚川
 
(一)県道谷高山線(金桶橋)
 
瓜巣川
 
(一)県道新田飛騨国府停車場線(新広瀬橋)
 
国道41号(名張橋)
 
宇津江川
 
(一)県道古川宇津江四十八滝国府線(四十八滝橋)
 
国道41号(新蛤橋)
 
荒城川
 
(一)県道飛騨古川停車場線(宮城橋)
 
太江川
 
国道41号(新鮎ノ瀬橋)
 
(主)県道神岡河合線(鷹狩橋)
 
殿川
 
戸市川
 
JR高山本線(第十三宮川橋梁)
 
JR高山本線(第十二宮川橋梁)
 
角川ダム
 
JR高山本線(第十一宮川橋梁)
 
国道360号(河合橋)
 
JR高山本線(第十宮川橋梁)
 
小鳥川
 
坂上ダム
 
JR高山本線(第九宮川橋梁)
 
JR高山本線(第八宮川橋梁)
 
国道360号(西忍橋)
 
国道360号(宮川新大橋)
 
打保ダム
 
JR高山本線(第七宮川橋梁)
 
国道360号(ヤソゼ橋)
 
国道360号(蛇渕橋)
 
JR高山本線(第六宮川橋梁)
 
JR高山本線(第五宮川橋梁)
 
国道360号(第五宮川橋梁)
 
国道360号(大瀬橋)
 
国道360号(成手橋)
 
国道360号(平成橋)
 
JR高山本線(第四宮川橋梁)
 
JR高山本線(第三宮川橋梁)
 
国道360号(新旭橋)
 
国道360号(鮎飛橋)
 
国道360号(飛越橋)
 
JR高山本線(第二宮川橋梁)
 
JR高山本線(第一宮川橋梁)
 
国道360号(加賀沢橋)
 
国道41号(新国境橋
 
高原川(以下、神通川)
 
神峡橋
 
吉野橋
 
神一ダム
 
寺津橋
 
長棟川
 
国道41号(庵谷町長大橋
 
国道41号(布尻楡原大橋
 
観光橋
 
神二ダム
 
国道41号(新笹津橋
 
国道41号(笹津橋
 
JR高山本線(第二神通川橋梁)
 
神三ダム
 
(一)県道八尾大沢野線大沢野大橋
 
JR高山本線(第一神通川橋梁)
 
市道新婦1号線(新婦大橋)
 
(主)県道立山山田線成子大橋
 
(主)県道富山外郭環状線新保大橋
 
北陸自動車道(神通川橋)
 
国道359号婦中大橋
 
熊野川
 
土川
 
(主)県道富山小杉線有沢橋
 
井田川
 
(主)県道富山高岡線富山地方鉄道富山軌道線富山大橋
 
神通大橋
 
北陸新幹線(神通川橋梁)
 
JR高山本線(神通川橋梁)
 
あいの風とやま鉄道線(新神通川橋梁)
 
(一)県道小竹諏訪川原線富山北大橋
 
いたち川
 
国道8号中島大橋
 
国道415号萩浦橋
 
富山湾
 
筏橋からみた宮川(神通川)と中橋
 
神通川の河川敷に建設された富山空港

富山県の七大河川(黒部川片貝川早月川常願寺川、神通川、庄川小矢部川)の一つ。河口部は傾斜が緩やかなものの、上・中流部は日本でも屈指の急流となっている[7]

岐阜県高山市の川上岳付近を水源とし、「宮川」として高山盆地古川盆地を抜けて川上川大八賀川小鳥川などと合流しながら北へと流れる[7][8]。富山県に入ると細入地域南部の猪谷付近で高原川と合流して、名前を「神通川」へと変える[8]。猪谷から下流は河岸段丘が形成されており、この付近に神一ダム神二ダム神三ダムが建設されている[8]

大沢野地域笹津付近からは常願寺川との複合扇状地を形成し、大沢野地域岩木付近からは富山平野を直線的に北へと流れる[7][8]井田川熊野川いたち川松川などと合流して富山湾に注ぐ[8]。河口周辺は富山県指定の「神通川河口鳥獣保護区」として鳥獣保護区に指定されている。

下流域の新婦大橋付近、神通川本流と西派川に挟まれた富山市八尾町中神通西神通の地域では輪中が形成されている[7]

流域の自治体 編集

主な支流 編集

一級河川のみ、下流側から順に記載(出典:岐阜県[9])。

自然 編集

気候 編集

神通川下流に位置する富山市の年降水量は約2,200mmで、左岸に位置する同市八尾町では約2,500 mmである。いずれも夏季の気温が高く冬季の雨量が多い日本海側気候となっている。上流部は高い山々に囲まれた盆地地域で、夏季に雨が多く気温が比較的低い内陸性気候であり、上流部の高山観測所における年降水量は約1,700 mmである[11]

地下資源 編集

高原川沿いには神岡鉱山という大規模な亜鉛・鉛・銀鉱山が所在し、神岡町(現・飛騨市)の小盆地に大規模な鉱山町を形成していた。その採掘の歴史は奈良時代にまで遡るが、2001年平成13年)6月に鉱石の採掘を中止した。

長棟川の長棟鉛山は1626年寛永3年)に山師である大山佐平次が発見したもので、流域に鉱山町を形成したが、昭和10(1935)年には廃村となった。

また、庵谷峠(神一ダム付近)では銀山が所在した。

植生 編集

上流部の樹木としてはミズナラブナクリなどが多く、その中にアカマツが混じる。植物では、絶滅危惧I類のシャジクモや準絶滅危惧種であるミクリ、岐阜県の準絶滅危惧であるヒメザゼンソウ、チョウジギクなどが確認されている。

下流では、砂礫州にツルヨシが多く、カワラハハコの群落やアキグミ群落、ネコヤナギ群落などが見られる。高水敷は撹乱が少なく安定し、ススキが多く、落葉広葉樹林であるエノキヌルデアカメガシワ、常緑針葉樹林のアカマツの群落が多い。

最下流にはカワラヨモギやカワラハハコの群落があり、高水敷にはオギカナムグラヨモギクズ、アズマハネザサの群落がある。この辺りではススキより帰化植物のセイタカアワダチソウが優勢となる。

動物 編集

上流部(小鳥川合流より上流)では、鳥類では、サギ類、カモ類、チドリ類、カワガラスカワセミヤマセミのほかに絶滅危惧II類であるオオタカサンショウクイ環境省指定の準絶滅危惧のチュウサギハチクマハイタカが確認されている[要出典]。哺乳類では、ニホンザルツキノワグマタヌキアナグマのほかに国指定特別天然記念物のニホンカモシカが確認されている[要出典]

魚類・水生生物 編集

上流部の魚類では、アユ[6]ウグイオイカワカワムツアブラハヤイワナニジマス、カワヨシノボリに、絶滅危惧II類に指定されるアカザスナヤツメが生息する。

下流部には瀬と淵が形成され、アユ、サクラマス、アカザ、スナヤツメなどの希少な魚類が生息する。ワンドにはフナコイが生息するが、外来生物のブルーギルも繁殖を続けている[12]

神通川水系 編集

神通川流域は、富山、岐阜両県にまたがり、富山市、南砺市、岐阜県の高山市、飛騨市の4市からなる。流域の土地利用は、山地が約87%、水田・畑地が約9%、宅地等が約4%となっている[要出典]

流域人口は37万7000人で、支川数は105であった。

支流と流域自治体 編集

下流の富山平野区間では排水河川の役割もしており、右岸には常願寺川扇状地に押し出されるように神通川に合流した小河川が複数ある。

また、第一支流の井田川とその第二支流の久婦須川は両県に跨る大河川である。

名前の由来 編集

神通川という名前の由来については大まかに2つの説がある[13]

  • 川を挟んで鵜坂神社多久比禮志神社(塩宮)の神が交遊されていたので、「神が通られた川」という意味から神通川と呼ばれた。
  • 太古の昔、神々が飛騨船津から乗船し、越中の笹津に着船されたことから神通川と呼ばれた。
  • 神通力に由来するという説があるが、確実なものではない。

一方、岐阜県内の「宮川」という名前はこの川の源流付近に飛騨国一宮である水無神社があることに由来する[14]

歴史 編集

先史 編集

万葉集』に「売比川(婦負川)」「鵜坂川」の名があり、神通川の古名と見られている(鵜坂川は井田川のこととする説もある)。

サケやマス(サクラマス)が遡上する川としても知られていた。平安時代延喜式には、都への献上品として神通川のサケのなれ寿司が登場する[15]。後に、神通川から取れるサクラマスを使った鱒寿司は富山の名物となった。サクラマスの漁獲量は激減したが、神通川に近い市街地には鱒寿司を製造する店が多く存在する[16]

河川改修事業 編集

かつての神通川は、富山の街の中を東に大きく蛇行し、河口が現在より西側に位置していた。戦国時代には神通川のすぐ脇に富山城が築城され天然の堀として利用された。この際、佐々成政によって洪水による流路変更を利用して富山城の北側に流れるよう流路を付け替えている[17]

しかし蛇行部分でたびたび水害が発生していたため、明治時代1901年1月から1903年5月21日にかけて、蛇行部分を短絡する分流路(馳越線)を作り[18](工事完成は同年5月31日[19])、一定量を超える洪水は、新たに造った馳越線に流れるようにした。しかし、洪水の度に、馳越線の方が本流のようになり、本来の本流には水が流れないようになってきたため、馳越線の方を本流とした。馳越線工事後の旧川については、水の流れを締切り[20]、水が流れなくなった部分には1930年から建設が始まった富岩運河から出た大量の土砂で埋立て川幅を狭め、旧来の本流は松川と名を改めた[10]。埋立地となった廃川敷には1936年には町名が設定がなされ[21]日満産業大博覧会の会場となるなど区画整理と土地利用が徐々に進み、富山県庁舎富山市役所などの施設が建設されていった。

1918年大沢野村から河口までの約20kmの川幅を広げ、両岸の護岸を統一的に見直す改修事業が開始され、予算や工期を見直す等して、1938年3月に完了した。[20]

河口部分については、1928年3月に東岩瀬港(現・富山港)と分離され、現在の流路が確定した[22]。また、八尾町の中神通と西神通の輪中堤も整備された[20]

災害・事故 編集

  • 1914年[10](大正2年)8月13日 - 大水害。死者54人、行方不明60人[23]
  • 1948年(昭和23年)7月25日 - 集中豪雨による増水のため富山市内の堤防左岸が決壊、浸水家屋800戸以上。また、神通大橋の中央部が流失した[24]
  • 1958年(昭和33年)10月7日 - 成子橋下流の渡し船が転覆。4人が死亡[25]

一級河川指定以降 編集

1968年(昭和43年)9月4日、一級河川の指定を受けた[26]

2019年令和元年)10月5日北陸新幹線神通川橋梁上流から熊野川合流部までの約3.7kmの区間の右岸堤防の整備を行う富山市街地重点防御築堤事業が着工した[27]。同事業により堤防が平均80cmの嵩上げおよび平均3.3mの拡幅が行われ、2023年(令和5年)9月30日に竣工式が挙行された[28]

公害 編集

高度成長期、主に大正時代から昭和40年代にかけて神通川流域でイタイイタイ病が問題化した。これは、岐阜県神岡鉱山三井金属鉱業株式会社管理)から出された廃液中のカドミウムを原因とする公害病であった。

「ビタミンD不足説」と「カドミウム原因説」に意見が分かれたが、婦負郡婦中町(現在の富山市婦中町)にある萩野病院(当時)の院長である萩野昇が神通川流域のカドミウムが原因であると突き止めた[29]

文化作品 編集

新田次郎にイタイイタイ病を扱った『神通川』という小説がある。常願寺川と神通川をつなぐいたち川は富山に住んでいたことがある作家宮本輝の小説『螢川』の舞台となっている(1987年に映画化)[30]

河川施設 編集

一次
支川名
(本川)
二次
支川名
三次
支川名
ダム名 堤高
(m)
総貯水
容量
(千m3)
型式 事業者 備考
宮川 宮川防災ダム 29.0 1,628 アース 岐阜県
宮川 角川ダム 21.5 879 重力 関西電力
宮川 坂上ダム 23.5 1,839 重力 関西電力
宮川 打保ダム 25.5 4,524 重力 関西電力
神通川 神一ダム 45.0 5,742 重力 北陸電力
神通川 神二ダム 40.0 8,663 重力 北陸電力
神通川 神三ダム 15.5 1,455 重力 北陸電力
大八賀川 大島ダム 53.1 4,720 重力 岐阜県 建設中
小八賀川 深谷ダム 27.3 300 ロックフィル 岐阜県
荒城川 丹生川ダム 69.5 6,200 重力 岐阜県
小鳥川 下小鳥ダム 119.0 123,037 ロックフィル 関西電力
高原川 浅井田ダム 21.1 340 重力 北陸電力
高原川 新猪谷ダム 56.0 1,608 重力 北陸電力
高原川 双六川 双六ダム 19.0 重力 富山共同自家発電
高原川 山田川 山田防災ダム 32.3 1,246 アース 岐阜県
熊野川 熊野川ダム 89.0 9,100 重力 日本海発電
井田川 猿越ダム 29.6 重力 富山県企業局
井田川 中山ダム 24.0 111 重力 富山県企業局
井田川 室牧ダム 80.5 17,000 アーチ 富山県企業局
井田川 八尾ダム 21.0 300 重力 富山県企業局
井田川 大足谷川 仁歩水槽ダム 19.9 111 重力 富山県企業局
井田川 野積川 原山ダム 18.5 35 アース
井田川 久婦須川 久婦須第二ダム 18.6 132 重力 北陸電力
井田川 久婦須川 久婦須川ダム 95.0 10,000 重力 富山県企業局
井田川 山田川 菅沼ダム 22.0 524 重力 富山県企業局
井田川 山田川 若土ダム 26.0 242 アーチ 富山県企業局
井田川 山田川 湯谷川 湯谷川ダム 63.7 1,636 ロックフィル 富山県企業局
井田川 山田川 辺呂川 藤ヶ池 18.2 615 アース 富山県企業局

並行する交通 編集

鉄道 編集

道路 編集

  • 国道41号 - 高山市・宮峠 - 富山市市街地。ただし、飛騨市内で宮川は大きく西に蛇行するのに対し、国道41号は数河峠を越え高原川に沿うルートを通ってショートカットする。
  • 国道360号国道471号国道472号) - 国道41号がショートカットする区間で宮川に並行する。

主な橋梁 編集

 
笹津橋(手前)と新笹津橋(奥)
 
有沢橋
 
富山大橋
 
神通大橋

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 「神通川」の3目を濁音とする場合と清音とする場合があり、濁音とする場合の仮名表記に「じんずうがわ」と「じんづうがわ」が見られる。「神通川」の語源には諸説があり[4]、語源からは仮名表記を定めがたい。名詞「神通」の仮名表記によることとすれば、現代仮名遣いでは「じんずう」が本則、「じんづう」が許容である。ただし、現代仮名遣いは固有名詞をかならずしも対象としておらず、実際には「じんずうがわ」・「じんづうがわ」のどちらの表記も広く通用している。

出典 編集

  1. ^ 建設省国土地理院地図管理部『標準地名集(自然地名)増補改定版』(1981年3月)
  2. ^ 小学館. “じんずうがわ【神通川】”. デジタル大辞泉. NTTレゾナント. 2014年6月4日閲覧。
  3. ^ 国立天文台編『理科年表 平成24年』602頁「日本のおもな河川」(国土交通省水管理・国土保全局資料による)
  4. ^ お気軽に おたずねください レファレンス事例集 Q 神通川の名前の由来が知りたい?」(PDF)『ライブラリィとやま』第72号、富山県立図書館、2013年3月15日、3頁、2017年3月10日閲覧 
  5. ^ 『富山工事事務所六十年史』(1996年2月、建設省北陸地方建設局富山工事事務所編集・発行)877頁
  6. ^ a b c “放流用の琵琶湖産の稚鮎が不漁 飛騨の高原川や宮川、漁協やきもき”. 岐阜新聞Web. (2022年5月22日). オリジナルの2022年5月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220522140213/https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/79490 2022年7月24日閲覧。 
  7. ^ a b c d 神通川水系の流域及び河川の概要(案)”. 国土交通省. 2022年8月19日閲覧。
  8. ^ a b c d e 神通川【じんづうがわ】”. 角川日本地名大辞典 オンライン版. 2022年8月19日閲覧。
  9. ^ 岐阜県 (2021年4月1日). “河川調書” (PDF). 2022年10月24日閲覧。
  10. ^ a b c “「桜橋」(1935年〜) 命名由来は前田の殿”. 北陸中日新聞Web. (2022年1月16日). オリジナルの2022年1月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220116093258/https://www.chunichi.co.jp/article/401069 2022年7月24日閲覧。 
  11. ^ 神通川水系の流域及び河川の概要(案)” (PDF). 国土交通省河川局 (2008年2月21日). 2019年8月16日閲覧。
  12. ^ 神通川計画 富山県
  13. ^ 甦った豊かな水と大地 イタイイタイ病に学ぶ”. 富山県. p. 4. 2019年9月6日閲覧。
  14. ^ 市町村・地名の由来【飛騨エリア】 - 岐阜県雑学”. gifu-omiyage.sakura.ne.jp. 2019年9月6日閲覧。
  15. ^ 神通川が生んだ名物 富山、ますのすし-森枝卓士WEDGE(2017年1月3日閲覧)
  16. ^ 鱒寿司食べ歩きマップ富山ます寿し協同組合ホームページ
  17. ^ 『河川の歴史読本 神通川』(2001年3月、国土交通省北陸地方整備局 富山工事事務所企画・制作)18ページ。
  18. ^ 『富山県の歴史』(1997年8月25日初版発行、山川出版社)年表23頁。
  19. ^ 『富山市史 第二巻』(1960年4月15日、富山市役所発行)125頁。
  20. ^ a b c 『河川の歴史読本 神通川』(2001年3月、国土交通省北陸地方整備局富山工事事務所企画・制作)34ページ。
  21. ^ 富山市史編纂委員会編『富山市史 第二編』(p639)1960年4月 富山市史編纂委員会
  22. ^ 角川日本地名大辞典 16 富山県(昭和54年10月8日、角川書店発行)586ページ
  23. ^ 下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』303頁 河出書房新社刊 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067
  24. ^ 「北陸三県に豪雨禍」『朝日新聞』昭和23年7月26日.2面
  25. ^ 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、131頁。ISBN 9784816922749 
  26. ^ 『富山市史 第五巻』(1980年3月10日、富山市役所発行)36ページ。
  27. ^ 富山の中枢を洪水から守る 神通川の堤防を高く、強く 富山市街地重点防御築堤事業 起工式を開催します。(国土交通省北陸地方整備局、2019年10月1日、2023年10月1日閲覧)
  28. ^ 『北日本新聞』2023年10月1日付『神通川右岸 堤防かさ上げ完成 富山市街の洪水対策強化』より。
  29. ^ “萩野病院(富山市)院長 青島恵子さん(71) 公害病の悲劇 次世代へ”. 中日新聞Web. (2021年7月6日). オリジナルの2021年11月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211102141556/https://www.chunichi.co.jp/article/285606 2022年7月24日閲覧。 
  30. ^ 県広報とやま 昭和61年11月号” (PDF). 富山県企画県民部広報課. p. 1 (1986年11月). 2022年7月24日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集