宮薗千寿
初代 編集
(文化3年(1806年) - 明治元年(1868年))本名は里しま。
江戸日本橋の茶屋「宇治の里」の主人の里清三郎の妻。初代宮薗千之の門下。著書に当時の貴重な史料「宮薗千草種」(1861年)がある。
2代目 編集
(生没年不詳)本名は梅田たづ。
3代目 編集
(明治16年(1883年)10月25日 - 昭和39年(1964年)7月25日)本名は鎗田ゆき。
東京の生まれ、2代目千寿門下の宮薗千春の門下で、1911年に宮薗千広、1948年に3代目千寿を襲名。河東節では山彦広子、荻江節では荻江ひろを名乗り素養があった。
4代目 編集
(明治32年(1899年)9月10日 - 昭和60年(1985年)9月2日)本名は水野ハツ。
東京神田の生まれ、19歳で3代目千寿に入門し宮薗千幸を名乗る。引退していた3代目千寿から1959年に生前相続し4代目千寿を襲名。
1972年に重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。1973年に勲五等宝冠章。