富田氏紹

江戸時代前期の仙台藩士

富田 氏紹(とみた うじつぐ、寛永3年(1626年) - 1705年9月23日)は、江戸時代前期の仙台藩士。通称は源七郎、仁左衛門(二左衛門)。官途は壱岐守

略歴 編集

寛永3年(1626年)に宮川有定の子として誕生。会津蘆名氏の家臣であった富田氏繁の養子に入る[1]

万治3年(1660年)に藩後継の亀千代(4代藩主伊達綱村)の守役に選出され、江戸屋敷で教育に当たった。

寛文11年(1671年)からの伊達騒動の最中でも一貫して亀千代を支え続け、延宝3年(1675年)に藩に入ると奉行職を経て家老に就任した。

綱村の政務に貢献し、桃生郡小野本郷に2千石を与えられている[2]。そして今までの功績から永代着座二番座の家格を与えられている。

晩年は安軒と号した。

宝永2年(1705年9月23日に死去。

子の紹実以降、実樹・篤実・実継・実保・実行・実文と続き、幕末には実保の息子・富田小五郎[3]が仙台軍・大隊長として戊辰戦争を戦い、その弟・富田鐵之助明治時代に実業家として活躍する。

参考資料 編集

  • 『富田家年譜』
  • 『新編風土記』
  • 『鳴瀬町史』

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ 『富田家年譜』
  2. ^ 『新編風土記』
  3. ^ 『鳴瀬町史』