対馬市立塩浦小学校

長崎県対馬市にあった小学校

対馬市立塩浦小学校(つしましりつ しおうらしょうがっこう, Tsushima City Shioura Elementary School)は、長崎県対馬市豊玉町 [1]鑓川(やりかわ)にあった公立小学校2015年(平成27年)3月末に閉校した。

対馬市立塩浦小学校
地図北緯34度23分14秒 東経129度21分04秒 / 北緯34.387222度 東経129.351167度 / 34.387222; 129.351167座標: 北緯34度23分14秒 東経129度21分04秒 / 北緯34.387222度 東経129.351167度 / 34.387222; 129.351167
過去の名称 豊玉町立塩浦小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 対馬市
併合学校 豊玉町立塩戸小学校
豊玉町立塩浜小学校
設立年月日 1984年(昭和59年)4月1日
閉校年月日 2015年(平成27年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 817-1214
長崎県対馬市豊玉町鑓川48番地
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概要 編集

歴史
1984年昭和59年)に当時の豊玉村にあった小学校2校を統合して開校した。2009年平成21年)に創立(統合)25周年を迎えた。2015年(平成27年)3月末に対馬市立豊玉小学校への統合により閉校。31年の歴史に幕を下ろした。
校章
を模った絵を背景にして、中央に校名の「塩浦」の文字(縦書き)を置く。
校歌
作詞は塩浦小学校生徒職員一同、作曲は岡田京子による。歌詞は3番まであり、各番とも校名の「ぼくらのぼくらの塩浦小学校」で終わる。
校区
住所表記で対馬市豊玉町[1]の後に「和板(わいた)、横浦(よこうら)、塩浜(しおはま)、見世浦(みせうら)、鑓川(やりかわ)、仁位字志賀原[2]」が続く地区[3][4]
中学校区は対馬市立豊玉中学校

沿革 編集

旧・塩戸小学校(しおと)
  • 1874年明治7年)6月1日 - 「第五大学区第四中学区[5](大船越学区)鑓川小学校」の開校が文部省によって正式に認可される。
  • 1875年(明治8年)から1886年(明治19年)までの間 - 不明。
  • 1887年(明治20年)- 小学校令により、中等科・初等科を廃止の上、簡易科を設置し、「仁位学区簡易鑓川小学校および賀谷分教場」、「簡易横浦小学校」、「簡易和坂小学校」が設置される。
  • 1891年(明治24年)9月1日 - 上記3校を統合の上、尋常科(修業年限4ヶ年)を設置し、「仁位学区尋常鑓川小学校」に改称。賀谷分教場は存続。
  • 1893年(明治26年)4月1日 - 校名を「鑓川尋常小学校」に改称(「尋常」の位置を変更)。
  • 1901年(明治34年)4月 - 「塩戸尋常小学校」に改称。
  • 1908年(明治41年)4月
    • 義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年まで延長。これに伴い、尋常科5年を設置。下県郡仁位村が発足し、その所管となる。
    • 賀谷分教場を廃止。
  • 1909年(明治42年)4月1日 - 尋常科6年を設置。塩浜分教場を設置。
  • 1912年大正元年)9月1日 - 塩浜分教場が分離の上、塩浜尋常小学校として独立。
  • 1918年(大正7年)7月1日 - 塩戸農業補習学校を併置。
  • 1921年(大正10年)4月1日 - 高等科を併置し、「塩戸尋常高等小学校」に改称(尋常科6年、高等科2年)。
  • 1939年(昭和14年)6月1日 - 青年学校令により、併置の塩戸農業補習学校が塩戸青年学校に改称。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「仁位村立塩戸国民学校」に改称。尋常科を初等科に改称(初等科6年・高等科2年)。
  • 1942年(明治17年)10月31日 - 併設の塩戸青年学校が廃止される。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)。
    • 旧・塩戸国民学校の初等科が改組され、「仁位村立塩戸小学校」となる。
    • 旧・塩戸国民学校の高等科が改組され、仁位村立塩戸中学校となり小学校に併設。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 併設の仁位村立塩戸中学校が仁位村立塩浜中学校を統合。
  • 1955年(昭和30年)3月20日 - 仁位村と奴加岳[6]村の合併により豊玉村が発足。これに伴い、「豊玉村立塩戸小学校・中学校」に改称。
  • 1963年(昭和38年)7月 - 校章・帽章を制定。
  • 1964年(昭和39年)5月 - 校旗を制定。
  • 1972年(昭和47年)3月 - 学校林を植樹。
  • 1975年(昭和50年)4月1日 - 豊玉村の町制施行により、「豊玉町立塩戸小学校・中学校」に改称。
  • 1976年(昭和51年)4月1日 - 豊玉町立塩戸中学校の閉校[7]に伴い、併設を解消し単独校となる。
  • 1984年(昭和59年)3月31日 - 統合のため閉校。
旧・塩浜小学校(しおはま)
  • 1909年(明治42年)4月1日 - 「塩戸尋常小学校塩浜分教場」が設置。
  • 1911年(明治44年)4月25日 - 校舎を新築。
  • 1912年(大正元年)9月1日 - 塩戸尋常小学校から分離の上、「塩浜尋常小学校」として独立(尋常科6年)。
  • 1939年(昭和14年)2月28日 - 高等科を併置し、「塩浜尋常高等小学校」となる(尋常科6年、高等科2年)。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「仁位村立塩浜国民学校」に改称。尋常科を初等科に改称(初等科6年・高等科2年)。
  • 1945年(昭和20年)5月17日 - 後援会が発足。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)。
    • 旧・塩浜国民学校の初等科が改組され、「仁位村立塩浜小学校」となる。
    • 旧・塩浜国民学校の高等科が改組され、仁位村立塩浜中学校となり小学校に併設。
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 併設の仁位村立塩浜中学校が仁位村立塩戸中学校に統合される。これに伴い、併設を解消し単独校となる。
    • 4月16日 - 後援会が解散し、PTAが発足。
  • 1950年(昭和25年)3月8日 - 校舎が完成。
  • 1954年(昭和29年)10月13日 - 運動場を拡張。
  • 1955年(昭和30年)3月20日 - 仁位村と奴加岳[6]村の合併により豊玉村が発足。これに伴い、「豊玉村立塩浜小学校」に改称。
  • 1956年(昭和31年)7月6日 - JRCを結成。
  • 1959年(昭和34年)9月9日 - 校舎を増築。
  • 1962年(昭和37年)2月25日 - 運動場を拡張。
  • 1964年(昭和39年)3月17日 - 簡易水道が完成。
  • 1965年(昭和40年)4月16日 - 学校給食を開始。
  • 1966年(昭和41年)9月1日 - 高度へき地給食を開始。
  • 1968年(昭和43年)5月5日 - 校門が完成。
  • 1969年(昭和44年)3月22日 - 校旗を制定。
  • 1970年(昭和45年)5月22日 - 校庭にブランコを設置。
  • 1971年(昭和46年)6月29日 - 校庭に滑り台を設置。
  • 1975年(昭和50年)4月1日 - 豊玉村の町制施行により、「豊玉町立塩浜小学校」に改称。
  • 1979年(昭和54年) - 低鉄棒を設置。
  • 1984年(昭和59年)3月31日 - 統合のため、閉校。
塩浦小学校
  • 1984年(昭和59年)4月1日 - 豊玉町立小学校2校(塩戸・塩浜)を統合し、「豊玉町立塩浦小学校」が開校。
  • 2004年(平成16年)3月1日 - 対馬市の発足に伴い、「対馬市立塩浦小学校」となる。
  • 2015年(平成27年)3月31日 - 閉校。

アクセス 編集

最寄りのバス停
最寄りの道路

周辺 編集

参考文献 編集

  • 「豊玉町誌」(1992年(平成4年)3月発行, 豊玉町役場)p.784 ~ p.788

脚注 編集

  1. ^ a b 対馬市発足前は「とよたまちょう」と読まれていたが、対馬市発足後は「とよたままち」と読まれるようになった。
  2. ^ 志賀原以外の仁位地区の小学校区は対馬市立豊玉小学校
  3. ^ 対馬市立小・中学校の通学区域の設定に関する規則 - 対馬市ウェブサイト
  4. ^ 地区の読み方に関しては日本郵便ウェブサイトの郵便番号検索を参照。
  5. ^ 長崎区が第一中学区、旧大村藩が第二学区、旧島原藩が第三学区、旧平戸藩が第四学区、旧福江藩が第五中学区。なお壱岐対馬は第四中学区に属した。
  6. ^ a b 読みは「ぬかだけ」。
  7. ^ 豊玉町立の中学校4校(仁位・乙宮・小綱・塩戸)の統合により、豊玉町立豊玉中学校が開校した。
  8. ^ 豊玉の猪垣 - ながさき旅ネットウェブサイト

関連項目 編集