寿福寺(じゅふくじ)は、神奈川県川崎市多摩区にある、臨済宗建長寺派の寺院。山号は仙谷山。

寿福寺
仙石山寿福寺
所在地 神奈川県川崎市多摩区菅仙谷1丁目14-1
位置 北緯35度37分37.8秒 東経139度31分22.4秒 / 北緯35.627167度 東経139.522889度 / 35.627167; 139.522889座標: 北緯35度37分37.8秒 東経139度31分22.4秒 / 北緯35.627167度 東経139.522889度 / 35.627167; 139.522889
山号 仙谷山(せんごくさん)[1]
宗派 臨済宗建長寺派
本尊 十一面観音
創建年 不明
中興 大安法慶
正式名 仙石山壽福寺
札所等 多摩川三十四ヶ所観音霊場第1番
準西国稲毛三十三所観音霊場第4番
法人番号 2020005007284 ウィキデータを編集
寿福寺 (川崎市多摩区)の位置(川崎市内)
寿福寺 (川崎市多摩区)
寿福寺 (川崎市多摩区)の位置(神奈川県内)
寿福寺 (川崎市多摩区)
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概要 編集

江戸時代後期に刊行された『江戸名所図会』に寿福寺とともに、周辺の景観「仙谷十景」も紹介されている。境内一帯の樹林は、川崎市と緑地協定を結んで保全している。山号にもなっている地名「仙谷」は、文字どおり仙人が住むような山谷であったことから。寺伝によると「この山に仙人道鏡がこもり、練行修身をつんだので″仙谷″と呼ばれた」とあり「道鏡谷」とも呼んだという。

沿革 編集

 
本堂

『江戸名所図会』によれば、古墳文化時代の「推古天皇6年(598年)に聖徳太子が建立」と書かれている[2]

  • 康平3年(1060年)に源義家奥州征伐出陣の途中、この地に宿し、当山観音堂に参籠して開運を祈願する[3]
  • 文治元年(1185年)源義経武蔵坊弁慶が大般若経を奉納。
  • たび重なる火災によって寺は荒廃していたが、鎌倉にある建長寺87世の大安法慶禅師が永徳年間(1381~84年)に中興し、天台宗から臨済宗へ改宗[2]
  • 永徳2年(1382年)に足利幕府の第2代関東公方だった足利氏満によって大会堂、善応殿(本堂)、擁護廟の3つの堂宇が造営された記録もある[2]
  • 明治8年(1875年)3月19日の火災では、殿堂と観音・虚空の両菩薩を焼失する。本堂は再建するも、明治28年9月3日に火災にあう。
  • 大正8年に32世積道和尚が本堂を再建する。
  • 昭和41年に33世孝宗和尚が庫裡と観音堂を再建。

文化財 編集

  • 木造 国一禅師坐像(市重要文化財)奈良県長谷寺の像と、同木同彫刻であると伝えられている。

交通 編集

脚注 編集

参考文献 編集