尋禅(じんぜん、天慶6年(943年) - 永祚2年2月17日(990年3月16日))は、平安時代中期の天台宗の僧。藤原師輔の十男。母は醍醐天皇皇女雅子内親王。
天延2年(974年)、天台宗で初めて尋禅が一身阿闍梨となり、天元4年(981年)には権僧正に任じられている。比叡山良源は師輔の外護を受けて、比叡山を再興し中興の祖とされるが、そのことは比叡山の世俗化を招いた。その結果師輔の十男である尋禅が、良源のあとを受けて寛和元年(985年)に天台座主となっている。永祚元年(989年)に隠退して飯室に篭った。没後の寛弘4年(1007年)に慈忍の諡号が贈られている。
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