小仏峠

歴史編集

1569年永禄12年)に武田信玄関東地方へ遠征した際、別動隊の小山田信茂甲斐国大月から八王子に向かった。これを迎え撃つ滝山城北条氏照は、当時一般的な経路だった奥多摩方面からの侵入を予想して戸倉城などに兵を派遣している。しかし小山田隊は小仏峠を越えてきたため、不意をつかれた北条軍は滝山城に籠城することになった(廿里の戦い)。その後、小仏峠は甲斐国と武蔵国を結ぶ要路となり、滝山城の機能は新設の八王子城に転換し八王子の地名の由来となった。廃城の後は関所が置かれた。特に富士参詣の行者がここを越えることから、富士関とも呼ばれていた。

江戸時代には甲州街道のルートに指定されて交通の要所となり、小仏関が置かれた。しかし勾配が急で車道化が困難であったため、1888年明治21年)に当時の国道16号(現在の国道20号)は大垂水峠を経由するルートへ変更された。これによって小仏峠を通る通行者は激減した。一方、地形的にほぼ東西に直線的に貫いていることから、直線的なルートが望まれる中央自動車道JR中央本線は、小仏峠の北側の山を小仏トンネルによって貫いて造られた。

頂上編集

高尾山陣馬山などの周辺の山々を巡るハイキングコースの要衝となっており、訪れる観光客は多く、通行止区間の近くまでバスも運行されている。峠にはかつて茶店があった[1]が、営業休止中で廃屋と化している。

1880年(明治13年)に明治天皇山梨巡幸の際に作られた「明治天皇小佛峠御小休所阯及御野立所」の碑などがある。

脚注編集

  1. ^ 藤田覚「小仏峠の茶屋」『歴史書通信』No.227、歴史書懇話会、2016年、pp.2-4.

関連項目編集