小倉智昭

日本のアナウンサー、タレント (1947-)

小倉 智昭(おぐら ともあき、1947年昭和22年〉5月25日[2] - )は、日本フリーアナウンサータレント総合司会者ラジオパーソナリティ実業家。元東京12チャンネル(現:テレビ東京)[注 1]アナウンサー。元オーケープロダクション取締役で、現在はオールラウンドに所属。株式会社バイオテクニカ代表取締役社長、株式会社PTP社外取締役。東京都在住。

おぐら ともあき
小倉 智昭
2022年10月16日(当時75歳)、当別スウェーデンマラソンにて
プロフィール
愛称 オグさん
出身地 日本の旗 日本秋田県秋田市
生年月日 (1947-05-25) 1947年5月25日(76歳)
血液型 B型
最終学歴 獨協大学外国語学部フランス語学科卒
所属事務所 オールラウンド
職歴 時事通信社[1] 社会部記者→
東京12チャンネル(現:テレビ東京)[注 1] アナウンサー→
フリーアナウンサー
活動期間 1970年 -
ジャンル 情報・バラエティなど
配偶者 既婚
公式サイト プロフィール
出演番組・活動
出演経歴世界まるごとHOWマッチ
どうーなってるの?!
小倉智昭の夕焼けアタックル
嵐の宿題くん
情報プレゼンター とくダネ!』など
その他 オーケープロダクション取締役

来歴 編集

生い立ち、教育、学生時代の活動 編集

帝国石油技術者だった父親と[3]鹿児島市出身の母親のもと[4]、当時の父の赴任先だった秋田県[5] で第一子長女である姉に次ぐ第二子長男として生まれた[注 2][注 3]。 祖父は宮大工[6]。小学2、3年生の時に東京新宿へ移り、高清水小4年生から再び秋田へ。中学進学後再び東京へ移った[5]

世田谷区立梅丘中学校出身。「友達を多くつくるために、勉強よりも体を鍛えること」という父親の方針のもとで育ち、子供の頃からスポーツ好きだった。そのため陸上競技の記録を伸ばすことばかり夢中になり、成績は体育だけが跳び抜けて良く、それ以外は平凡なものであった。陸上では世田谷区大会で優勝したことがある[5]中央大学附属高等学校では陸上部に所属[3]。高校生時代は100m走で10秒9の記録を出したこともある[7]。ある日父が学校に「陸上部辞めたら学校も辞めなければいけないんでしょうか」と相談しに来たことを聞き、これをきっかけに勉強と陸上の両方を頑張るようになった[5]。大学進学時、そのまま中央大学に進学するものと思われていたが「スペイン語を学びたい」と言い出し[注 4][6]、また中央大学には「陸上部で嫌いだった先輩が行ったから」という理由で進学せず、上智大学を受験するも不合格。最終的に獨協大学外国語学部フランス語学科へ進学した[3]。獨協大学でも陸上部に所属し陸上競技会に出場した後、東京都陸上競技連盟から国体出場の通知を受けたこともある[3]。しかし大学陸上部は2年で退部。足を怪我したことや、当時バンド活動で十分稼げるようになっていたからだという。バンドではボーカルベースを担当[3]、デパートの屋上のビアガーデンビートルズの曲を演奏するアルバイトをやっていた[6]。幼い頃から吃音症に悩まされ、また秋田出身であることから訛りもひどかったこともあり後にアナウンサー職に就いたのは、吃音を克服するため、あえて喋ることを仕事とする道を志したためであるという[3]

就職活動のアナウンサー試験では文化放送は1次選考、フジテレビは最終選考で不合格[3][8]。東京12チャンネル[注 1] のアナウンサー職で合格・採用。入社試験に合格した決め手は、フリートーク試験のお題が競馬だったからだと言う(当時東京12チャンネルが、競馬のアナウンサーが欲しかったみたいだったからとも話している)[9]。よく似た経歴の持ち主に、元秋田テレビアナウンサーの鈴木陽悦がいる。

職務経歴 編集

東京12チャンネルアナウンサー 編集

東京12チャンネル社に入社。高校生のころ東京都府中市に住んでいたことで[9] 当時から競馬をやっていたため競馬に詳しかったことから『競馬中継実況アナウンサーとして活躍し、毎週土曜日午後のワイド番組『ザ・ロンゲストショー』の中で競馬中継を担当した[注 5]。予てから小倉の実力を認めていた山城新伍が司会を務める『独占!男の時間』にも起用された[10]。競馬ファンから「競馬中継なら小倉」と言わしめるほどであったという。

しかしながら、競馬実況アナウンサーとして周囲より早く出世したことや、後輩への競馬実況術を指導したことが当時のスタッフや同僚アナウンサーから反感を買い[注 6]、さらに当時人気番組である一方で「ワースト番組」上位にも挙げられていた『独占!男の時間』への出演を巡り[注 7]、上層部と衝突を起こすようになる。

フリーアナウンサー転身 編集

大橋巨泉が『大橋巨泉の日曜競馬ニッポン』(ニッポン放送)をスタートさせるにあたり小倉を起用することを決め、巨泉のスカウトに乗る形で29歳のときに東京12チャンネルを退社し[9]、フリーアナウンサーとして大橋巨泉事務所(現:オーケープロダクション)に所属した。このとき前妻と離婚した。フリーランス転身後は仕事が入らず鳴かず飛ばずの状態が続いた。当時について小倉は「税金なんか当たり前、養育費も公共料金の支払いも滞納が続いた」「質屋と古本屋には本当にお世話になった」という状態が続き、電気・ガス・水道は止められ、電車賃が払えずアパートまで歩いて帰宅し、電車賃を工面するため開店前の古本屋を叩き起こしては本を売り現金化する日々が続いた[6]。「前妻の父が学者で、本を出すのに金がかかるから」[注 8]「子供の指の手術代に」などと理由を付けて同僚から金を借りたこともあった[6]。時折、父親から食べ物の差し入れがアパートのドアノブに引っ掛けてあり飢えを凌いだ[6]。また、給料の前借りが日常的であったことから「バンスの小倉」とあだ名を付けられた[5]

その後、古巣であるテレビ東京の『タミヤRCカーグランプリ』での軽快で個性的なナレーション(自称「小倉のお兄さん」)で小中学生からの注目を集め、さらに『小川宏ショー』のリポーター、『アイ・アイゲーム』(フジテレビ)や『世界まるごとHOWマッチ』(毎日放送)のナレーションが転機となる。『RCカーグランプリ』や『HOWマッチ』では甲高い声と早口で洒脱なナレーションで名前を知られた。当時のキャッチフレーズは “七色の声を持つナレーター” であった。

また、ラジオパーソナリティとしても頭角を現し、文化放送『とことん気になる11時』(1984年 - 1987年)、『小倉智昭の時計の針はいま何時?』(1987年 - 1991年)、『小倉智昭のニュースアタックル』、『小倉智昭の夕焼けアタックル』(1992年 - 1999年)など、平日の帯ワイド番組に長期に亘って出演した。

フリー転身後もしばらくの間は、公営競技のレース実況を手掛けており、競馬以外でも日本選手権オートレース(第10回、第13回)、第36回日本選手権競輪などで実況を担当している。

司会者として 編集

ラジオパーソナリティでの話術ぶりを評価され、『キャッチ』(日本テレビ1989年 - 1992年)、『ジョーダンじゃない!?』(フジテレビ、1992年 - 1993年)、『どうーなってるの?!』(フジテレビ、1993年 - 1999年)などのワイドショーに次々に総合司会で起用され、着実に足場を固めて行く。

そして1999年4月から2021年3月まで『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ)の総合司会を務め、その地位を確実なものにした。大学生の頃、就職活動真っ只中の1970年、小倉の第一志望はフジテレビジョンであり、入社したら朝のワイドショーを担当したいと入社面接時に話していたが不合格に終わったため、『28年来の願いが叶った』と、番組スタートの記者会見の場で語った[11]

『とくダネ!』の裏番組だった『はなまるマーケット』(TBS)には出演できなかったため、2000年に『はなまるマーケット』の姉妹番組として深夜に放映された『ウラまるカフェ』(TBS)にゲスト出演して薬丸裕英との共演を果たしている。同じく、『とくダネ!』の裏番組『あさイチ』(NHK総合テレビ)を強く意識していると述べている。『あさイチ』の初代メインキャスターを務めた有働由美子(元NHKアナウンサー)とは、コンサートで顔を合わせることもあるが、あまり口を利かないという。小倉は有働をライバル視していた[12]。小倉が2017年5月30日放送のNHK総合テレビ『ごごナマ』で有働のことをライバルと公言した後、有働は小倉に「ライバルなんて言っていただいて光栄です」と手紙を送った。小倉はこの手紙を宝物として飾っている[13][14]。また、2010年春にNHKが行った総合テレビにおける『連続テレビ小説』の放送時間を8時15分から8時に繰り上げた改編に不満を持っている[15]

マラソンに対する造詣は深く、フジテレビ系列のマラソン中継(北海道大阪名古屋の両女子と東京、並びに国際千葉駅伝)のゲスト兼応援団長をダブルで出演している。

その後 編集

2016年5月13日、初期の膀胱がんを公表し、翌週の5月16日から手術のため1週間休養[16]。17日手術、21日に退院し、23日に番組復帰を果たす[17]

2016年7月28日、『とくダネ!』の放送回数が4452回となり、同一司会者による全国ネット情報番組としての最多放送回数を達成した[11]

2018年11月5日放送の『とくダネ!』で、同週いっぱい休養することを報告するとともに、膀胱がんによる膀胱全摘手術をすることを明かした[18]。11月12日にいったん復帰[19]。11月26日放送の『とくダネ!』で、膀胱全摘出、代用膀胱造設手術を行うため翌27日から長期休養に入ることを明かした[20]

2019年1月7日、予後が良好であるとして予定より1か月早く『とくダネ!』に復帰[21]

2021年3月26日をもって『とくダネ!』が放送を終了。22年間の歴史に幕を閉じ、小倉自身も帯番組の総合司会を勇退した。後継番組は谷原章介永島優美が初代総合司会を務める『めざまし8』。

2021年7月13日、フジテレビの「東京五輪 情報スペシャルキャスター」への就任が発表された。番組の枠を超え、大会期間中、フジテレビの情報番組で五輪情報を伝える[22]

2021年9月25日、『とくダネ』卒業後、初MCとなるトーク番組『小倉ベース』に出演。『とくダネ』の1コーナーだった企画のスペシャル版で上戸彩池田エライザカズレーザーをゲストに招き、トークを展開した[23]

2021年10月4日、がんが肺に転移し「ステージ4」の状態であることを公表[24]。入院して抗がん剤治療を行うことになる[24][注 9]

経営関連の仕事 編集

旧所属のオーケープロダクションで取締役を務めていたほか、小倉智昭オリジナルブランド「O-GLAND(オーグランド)」の販売なども行っている、グッズ企画や販売、輸出入を事業とする商社『バイオテクニカ』の代表取締役を務めている[25]

2021年4月8日、テレビの全録ハードディスクレコーダーの企画・開発などを手掛ける株式会社PTPの社外取締役に就任[26]

飲食店経営

大橋巨泉に「タレントは使い捨てだから、いつ捨てられても生活していけるように事業を起こせ」と助言され、上記以外にも焼肉店を経営している他、北海道石狩郡当別町にあるラーメン店「なかむら」をのれん分けしてもらい、自らも出資してオーナーとなっており[27]、現在、中野坂上ワイキキに出店している[5](なお中野坂上店は、1階にあったラーメン店を廃業し、階上にあった同名の焼肉店を階下に店舗拡張している)。[28]

人物 編集

 
高橋尚子と(2022年10月、当別スウェーデンマラソンにて)

身体情報 編集

趣味・嗜好・特技 編集

交友関係 編集

  • アニメソング歌手水木一郎とは中学の同級生で、一緒に漫才をしたこともあるという。2010年12月11日放送の「小倉智昭のラジオサーキット」(ニッポン放送)にゲスト出演し、同窓会トークを繰り広げた。2011年10月9日放送の「ウチくる!?」(フジテレビ)に水木一郎がゲスト出演した際は、小倉智昭との中学時代のエピソードを話した[36]
  • 地元の秋田テレビに在籍していた鈴木陽悦は同郷で高清水小学校、中央大附属高校の後輩にあたる。
  • 俳優市村正親萩原流行とは友人であり、小倉はさんまのまんま(1998年5月5日)に萩原と2人でゲスト出演した事がある。所属事務所入りを手助けしたこともあり、2015年4月23日のとくダネで前日交通事故で亡くなった萩原について「非常にショックです。僕は、彼の芸能界の少ない友人でした。家もそばなので今朝早く、彼の家の前で手を合わせてきました。こんな形で彼の事故を伝えることになるとは…」とコメントした[37]
  • 日高晤郎とも長い付き合いがあり、小倉の結婚式の司会は日高が務めた。2018年4月4日放送の『とくダネ!』のエンディングでは前日に他界した日高の訃報に触れ、追悼のコメントをした[38]
  • 小倉智昭の夕焼けアタックルを通じて野村邦丸とも親交が深い[39]
  • 小倉と同い年で、誕生日も一週間違いで、テレビ東京アナウンサー時代から親交もある寺尾聰とも長く、お互い「智昭」「聰」と呼び会う間柄。自身が総合司会を務めていた『とくダネ!』にも2021年3月26日放送の最終回ではサプライズでゲスト出演した。『とくダネ!』でも数回ゲストとしても出演経験もあり、プライベートでもゴルフ仲間としてでなく音楽仲間としても交流がある。
  • シンガーソングライター絢香のファンでもあり、自称「お父さん」を公言している。絢香が活動休止の最中、2010年9月20日に絢香の夫で俳優水嶋ヒロが執筆活動専念のため、所属事務所・研音[注 10]を退社・俳優業引退の方向とメディアに報じられた際、絢香は小倉に、水嶋は執筆活動などと共に俳優業を続ける意向であるとし、2人は事実と異なる報道に困惑しているとの趣のメールを送り、このメールの内容を小倉は23日放送分の『とくダネ!』で公開した[40]。また、水嶋の引退を報じたメディアは2010年9月20日時点で絢香が研音にまだ所属中ということになっていたが、絢香が小倉に送ったメールの中には活動休止前最後のステージとなった2009年12月31日NHK第60回NHK紅白歌合戦』終了後に研音を退社していたとのことで、実際は絢香のメールでの発言通りだったことも判明した。
  • WaTとも親しく、番組でも共演したとは交流があり、彼らのライブにも行っている。
  • サンドウィッチマン伊達みきおとも交流があり、2021年に伊達が自身と同じ膀胱癌の手術を受けた際にはメール禁煙を促している[41]

家族 編集

  • 1976年のフリー転身当時、最初の妻と離婚。
  • 38歳の時、15歳年下の女性(さゆり夫人)と再婚(当時女子大生で大学卒業と同時に結婚)。極秘挙式の際には大橋巨泉夫妻が仲人となっている。
  • 最初の妻との間に子がおり、現在の妻との間にはいない。

闘病 編集

2016年に68歳で膀胱がんを発症[42]。2021年には膀胱がんがに転移。ステージ4となる。発症後の2年間は、内視鏡手術を避けていたが、その理由について2021年6月7日に公開された同じくがんで闘病経験のある笠井信輔との対談で、膀胱を全摘するときに前立腺精嚢勃起神経も切れるので、性生活はあきらめるよう医師に告げられたが、小倉は性欲が人並外れて強かったため、未練があった。しかし、手術後1年経過したときに、相変わらず性欲が強く、男性ホルモンはなくなってはおらず、勃起神経はなくなっているために勃起はしないが、「いける」ことに気付き医師に尋ねたところ、「実は射精神経は切ってない」と言われた。精嚢はないから精子は作れないが、興奮し射精と同じような気分を味わうことができるとわかったという。小倉はこれを「朗報」だとトークで包み隠さず公開した[43]

エピソード 編集

オリンピック

1997年5月にTBSテレビで放送された『そこが知りたい』(アナウンサーを取り上げた回)では、夢はオリンピックの実況と語っていた。2000年のシドニーオリンピックは弾丸ツアーに参加してまで観戦[3]。2008年の北京オリンピックでは、フジテレビから派遣されて現地で生観戦し、日本がメダルを獲得した25種目のうち24種目を生観戦し、金メダルは全て生で見たという[44]

1964年東京オリンピックで、聖火ランナーを務めた(高校2年生、東京都府中市[45]

かつらの着用

30代で糖尿病を発症し、その治療の影響もあって薄毛となり、かつらを装着するようになったことは講演会などでカミングアウト済みである[46]。講演などではかつらを外すこともあるが、「テレビやラジオで取り立てて言うことではない」として、既に公表済みという姿勢を貫いている。

週刊文春』はかつらについて2度記事に取り上げ、2度目の際には「10年前にも同じ質問したでしょ」と小倉からたしなめられている。

2002年、『週刊文春』1月31日号の「阿川佐和子のこの人に会いたい」でかつら着用について「別に隠してもいないし、皆知ってますよ」「ズレたりなんかしないし、長いのとか短いのとか持ってませんよ。僕は総かつらじゃないんだから(笑)。ほとんどが自分の髪なんだから」「ちゃんと1ヶ月に1回、美容院行って髪は切ってるし、スッポリ被ってるわけじゃないですよ」と語った。

2003年、『とくダネ!』のオープニング(同年3月28日放映)で、頭を下げて挨拶をした時にかつらがとれたという動画が流れ、東京スポーツの一面に載る程にまで話題となった。実際に生放送中に外れたことは無く、動画作成者が手を加えたものである。

コンタクトレンズと白内障手術

仕事中はほとんどコンタクトレンズを装着しているため、それについての話題になると熱くなる傾向がある。ただし、2012年4月6日に両眼の白内障手術を受けたことを明らかにし、現在は裸眼で両眼とも視力が1.5に回復したことを語っている。

庄司哲郎への資金提供疑惑

『週刊文春』(2016年9月8日号)に覚醒剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された庄司哲郎に小倉が資金提供をしていたと報じられた。小倉は資金援助をしていたわけではなく、画家としての庄司の才能に惚れ込んでいたため絵画を購入して応援していたと釈明し、結果的に自身が覚醒剤の資金源となっていたことについては「つらい…自分のがん告知より悲しかった」と思いを語った[47]

発言 編集

メジャー移籍した上原への発言

2009年4月9日『とくダネ!』の放送中、ボルチモア・オリオールズに移籍した上原浩治投手の初登板を中継していた場面で、「オレ、上原って、1シーズン(昨シーズン?)は自分で演出してダメになってたと思うんだよね」との発言し[48]、翌10日のオープニングでも「巨人は出してくれなかった。それでちょっと腐っちゃったな」と勝手な自説を展開し、「ボルティモアはとっても安い買い物をした」と語った[49]

島田紳助電撃引退に絡んでの発言

2011年8月24日放送分の『とくダネ!』では、右翼団体との間のトラブル解決をきっかけとした暴力団関係者との交際発覚で前日に芸能界引退を発表した島田紳助に絡み、「皆さんの周辺でも、知らないうちにそういう人が解決してくれるってことは起こるはず」「ダメなこととは分かってても、それしか解決方法がなかった、って人はいると思うのね」と、反社会勢力を容認するとも受け取れる発言をしたことで、ネット掲示板などで批判が多数寄せられた[50]。8月26日、番組内で釈明の上、「誤解があったら申し訳ない」と謝罪した。

安倍晋三に対する発言

2012年9月27日に『とくダネ!』の放送の中で、「潰瘍性大腸炎」(全国に11万人以上の患者がいる厚生労働省指定の難病[51])の悪化で2007年9月12日に辞任した安倍晋三内閣総理大臣第1期時代、病気を理由に辞任)の自民党総裁選出馬について、共演者の田中雅子が「辞め方が...。1年で、もうお腹痛くなっちゃって辞めちゃったということで…」と発言し、この発言に続けて小倉が「(安倍の2007年の病気による辞任は)ちょっと子供みたいだったと思うよ」と発言し、続けて田中は「そうなんで すよ、そうなんですよ」と発言した。小倉と田中が、厚生労働省指定の難病」である潰瘍性大腸炎を、単なる「腹痛」と軽視して、潰瘍性大腸炎に罹患する患者全体に対する誤解を生む差別的発言をしたことに対して、「好き好んで病気になる人がいますか?」「難病だし、苦しんでる人がいるのに」「同じ病気の私は複雑な気持ち」といった批判や疑問が相次いだ[52][53]。 同年10月1日同番組の放送で、「さて、ここでお詫びをさせていただきたいと思います。先週の木曜日、自民党の安倍新総裁の体調に触れた際、潰瘍性大腸炎という難病であるにもかかわらず不適切な表現をしてしまいました。もちろん、病気に苦しむ方を傷つけるつもりはありませんでした。お詫びをさせていただきます。」と謝罪した[54]

体罰に関しての見解の報道

J-CASTテレビウォッチは、2013年1月11日付の配信記事で、大阪市立桜宮高校のバスケットボール部に所属する生徒が自殺した問題に関して、『スポーツに一家言持つ小倉智昭キャスターはそうしたコメンテイターたちに比べると「規律重視」派のようだ。けさは「勝つことを目指すのは人格形成に役立つ」と勝利志向主義の意義を力強く訴え、別の段では、体罰について「もちろんよくないが、目をつぶってもいいんじゃないという体罰もあるかもしれない」と、一定の宥和的な態度を示した』と、小倉の体罰に関する見解を消極的容認派ではないかという解釈のもと、報道した[55]

レディー・ガガに対しての発言

2014年12月3日の『とくダネ!』海外ニュースコーナーでは、レディー・ガガが過去に披露した奇抜な衣装をVTRで紹介。小倉は呆れ顔で「名前変えたほうがいいよ。レディー・バガ」とばっさり。これには、ガガファンや一部視聴者が、不快感を露わに。ネット上では「『とくダネ!』が、ガガ様を嘲笑ってる」「小倉に謝ってほしい」「小倉ってそんなに偉いんですか?」といった声が見受けられた[56]

共演者に対する発言

2020年9月17日の「とくダネ」で、HSPに関する特集の際、チェックリストの一部に該当した共演者に対し「嘘つきなの?」と発言し、SNSを中心に批判が多発している。

現在の出演番組 編集

その他、フジテレビでのマラソンの実況放送等にも出演。

過去の出演番組 編集

テレビ 編集

ラジオ 編集

映画 編集

吹き替え 編集

本人役 編集

  • UDON(2006年)(劇中で讃岐うどんブームの紹介をする「とくダネ!」のオープニングシーン)

テレビドラマ 編集

アニメーション 編集

インターネット放送 編集

  • 週刊 小倉智昭〜担当者でてこい!〜 (Bee TV

CM 編集

※注記が無いCMはすべてナレーションのみ。

競馬GI級競走実況歴 編集

東京12チャンネル時代

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ a b c 小倉が入社した当時の株式会社テレビ東京は「株式会社東京十二チャンネルプロダクション」という商号の番組制作会社であり、この法人が後の1973年に財団法人日本科学技術振興財団から東京12チャンネルの放送免許を譲り受けて正式に放送事業者となり商号も「株式会社東京12チャンネル」に変更した(1981年に現在の商号に再変更)。これらの詳細・経緯については「テレビ東京#沿革」を参照。
  2. ^ 本籍地は香川県丸亀市であるという[6]
  3. ^ なお、2020年8月7日放送の『とくダネ!』の 本人談『私の母親は88歳で…』と実母の年齢を交えたトークからすると、放送時小倉は73歳であるので、母は15歳で智昭を出産した計算になる。
  4. ^ 当時の中大にはスペイン語学科が無かった。
  5. ^ 小倉自身は競馬実況担当時代の想い出として「ハイセイコーのレース(昭和49年第6回東京競馬 第9競走 サラ系4歳上オープン 芝1,800m、1974年11月9日【土】(サラ系4歳上)オープン ハイセイコーの成績参照)を実況したこと」を挙げている。
  6. ^ 当時のアナウンス業界では、技術は盗んで覚えるものとされ、先輩から後輩への技術指導は好ましく思われなかった。
  7. ^ 最初は競馬コーナーのみの担当だったが、その人気からレギュラー出演となった。
  8. ^ 父は(小倉と)結婚前に亡くなっているとの前妻の談である[6]
  9. ^ この日の朝は急遽「くにまるジャパン極」に出演(当初出演予定はなかったが入院のため出演できなくなるため予定外の出演)、経緯など詳細な説明を行った。
  10. ^ 絢香も研音に所属していた。
  11. ^ 「とくダネ!」終了までは本番終了後、フジテレビから文化放送まで、自動車で直接移動していた。

出典 編集

  1. ^ 平松澄子 (2011年7月23日). “【プレミアムシート】キャスター・小倉智昭 「いつまで必要とされるかが勝負」”. MSN産経ニュース (産経新聞社). オリジナルの2011年12月9日時点におけるアーカイブ。. https://megalodon.jp/2011-1209-0050-40/sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110723/ent11072307010001-n2.htm 2011年12月9日閲覧。 
  2. ^ a b 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、46頁。NDLJP:12276264/24 
  3. ^ a b c d e f g h 日刊スポーツ 2006年6月4日(28面)『日曜日のヒーロー519・小倉智昭』より。
  4. ^ 武田鉄矢ほか『あの日あの時母の顔 私の母語り』小学館、1996年5月、180頁。ISBN 4-09-387179-5 
  5. ^ a b c d e f 週刊文春 2002年1月31日号 p.142-146「阿川佐和子のこの人に会いたい」
  6. ^ a b c d e f g h 週刊新潮 2004年11月11日号 p.46-47「短期集中連載『キャスター誕生!』最終回」
  7. ^ a b 安全衛生のひろば(労働省労働基準局安全衛生部監修 中央労働災害防止協会発行)1991年2月号 p.4-7「対談 中尾彬のトークギャラリー」
  8. ^ “【オヤジンセイ】小倉智昭 「人におべんちゃら使わないのは親父似」所持金170円の過去も…“補欠の人生”をぶった斬る”. フジテレビュー!!. (2021年3月26日). https://www.fujitv-view.jp/article/post-274238/ 2021年12月5日閲覧。 
  9. ^ a b c 週刊ポスト 2008年3月28日号 p.60-63「眞鍋かをりのココだけで教えて!」
  10. ^ “「死去」山城新伍との出会い 「小倉智昭の人生」変えた理由”. J=CAST テレビウォッチ. (2009年8月14日). オリジナルの2014年2月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140222133904/http://www.j-cast.com/tv/2009/08/14047436.html 2014年5月30日閲覧。 
  11. ^ a b “小倉智昭氏「とくダネ」で最多記録達成 大先輩超え「まずかったかな…」”. スポニチアネックス. (2016年7月28日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/07/28/kiji/K20160728013051460.html 2016年7月28日閲覧。 
  12. ^ 小倉智昭、敵は有働由美子?に「そりゃそうですよ」,デイリースポーツ,2017年5月30日
  13. ^ 小倉智昭氏明かす…「ライバル」発言にNHK退社・有働アナから手紙届いた,スポーツ報知,2018年4月4日
  14. ^ 小倉智昭“ライバル”発言で有働アナから手紙…宝物,日刊スポーツ,2018年4月4日
  15. ^ 小倉智昭、有働アナにライバル心?「口きかない」,日刊スポーツ,2017年5月30日
  16. ^ “小倉智昭氏が休養入り “代役”笠井アナ「ゆっくりしてください」”. スポニチアネックス. (2016年5月16日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/05/16/kiji/K20160516012597570.html 2016年5月16日閲覧。 
  17. ^ “小倉智昭キャスターぼうこうがん手術から番組に復帰”. 日刊スポーツ. (2016年5月23日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1651741.html 2016年5月23日閲覧。 
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関連項目 編集

外部リンク 編集