小原 駩吉(おはら せんきち、1871年3月7日明治4年1月17日[1]) - 1932年昭和7年)5月15日[1][2])は、明治から昭和戦前期の宮内官僚華族男爵)。貴族院議員。

小原駩吉

生涯 編集

1871年(明治4年)小原忠迪の長男として生まれる。祖父は大垣藩家老・小原鉄心(忠寛)。

1896年(明治29年)帝国大学法科大学を卒業[2]。同年拓殖務省の属となり、貴族院などで書記官を務めたのち宮内省に入る。宮内省では調度頭内匠頭宮中顧問官を歴任。1925年(大正14年)7月10日、貴族院男爵議員となり[3]公正会に所属し死去まで議員の職にあった[2][4]

1932年(昭和7年)5月没(62歳)。正三位勲一等[2]

栄典 編集

位階
勲章等

親族 編集

[9]

脚注 編集

  1. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成 上巻』401頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』66頁。
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、34頁。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、39頁。
  5. ^ 『官報』第5159号「叙任及辞令」1900年9月11日。
  6. ^ 『官報』第2484号「叙任及辞令」1920年11月11日。
  7. ^ 『官報』第1038号「叙任及辞令」1916年1月20日。
  8. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  9. ^ 小原駩吉 (第8版 [昭和3(1928)年7月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース(名古屋大)

参考文献 編集

公職
先代
馬場三郎
  内匠頭
1920年 - 1924年
次代
東久世秀雄
先代
馬場三郎
  調度頭
1915年 - 1920年
次代
吉田平吾
日本の爵位
先代
小原忠迪
男爵
小原(忠寛)家第2代
1910年 - 1932年
次代
小原謙太郎