小室孝太郎

日本の漫画家

小室 孝太郎(こむろ こうたろう、1943年10月 - 2017年)は、日本の漫画家。本名は小室 保孝(こむろ やすたか)。宮城県出身。代表作は『ワースト』。

略歴 編集

19歳から手塚治虫の門弟として修業し、1968年に独立する。『週刊少年ジャンプ』1968年10号で時代劇ものの読切『天兵一番勝負』を「小室保孝」名義で掲載後、翌1969年5月から7月にかけて、『週刊少年ジャンプ』にて『トワイライトゾーン』で連載デビュー。同誌では1970年11号から1971年34号まで『ワースト』を連載する。SF漫画の草分けとして、またテーマの斬新さと手塚直伝の独特なキャラクターにより、好事家の間では今日でも評価されている。

その後、1971年45号から1972年7号まで『闇の戦士』、1972年18号から同年38号まで『ミステリオス』を連載する。

1973年、『週刊少年ジャンプ』8号より『アウターレック』の連載を開始するが、27号で終了。アンケート結果は常に上位にあったものの、アンケート結果が不安定だったもう1つのSF漫画『マジンガーZ』がアニメ化が決まったことで、『SF漫画は2つもいらない』という編集部の判断があった」[1]、そして「事実上の打ち切り予定だった『侍ジャイアンツ』が原作者の梶原一騎の力でアニメ化したためにメジャー化し、その代わりに打ち切られた」と2つの理由を語っている。この対応に関して編集と激しく争ったため、小室は他誌での連載を試みたが、知らない間に交わされた専属契約制度のせいで、しばらくの間ほとんど作家として活動できない状況に陥った。こうした経緯により、小室はジャンプ専属契約制度の犠牲者とされている。一方、当時の副編集長であった西村繁男からは「手塚治虫の直系の弟子で、作風は高いレベルで完成されていたが、それ以上にはならなかった」と評されていた[2]

1978年密教を題材としたオカルトアクション作品『命〈MIKOTO〉』で『週刊少年ジャンプ』に復帰したが、同門の寺沢武一コブラ』とSF枠を争う格好になり、わずか11週で打ち切りとなった。しかし、単行本出版後には大きな反響を呼んだ[3]。その後は古巣である手塚プロダクションで「24時間テレビ」のアニメスペシャルなど、アニメ制作に携わりつつ、歴史漫画や宗教漫画などに活動の場を移した。一方で、『つっぱりアナーキー王』のインタビューではSF作品に対する未練も述べていた。

2010年7月19日、自作の韓国語版が出版されたことを記念し、ソウル市内で開かれた式典に出席した[4]。2017年没[5]

作品一覧 編集

師匠 編集

外部リンク 編集

脚注 編集

  1. ^ 加々美利治 (2020年11月22日). “『Dr.スランプ』がなければ「ジャンプ」の躍進はなかった? アニメ黄金期を作った転換点”. マグミクス. メディア・ヴァーグ. 2020年11月22日閲覧。
  2. ^ 『まんが編集術』(白夜書房、1999年)
  3. ^ 『つっぱりアナーキー王』33P
  4. ^ 人間自然科学研究所 研究所の歴史
  5. ^ 『ワースト [完全版]』(2019年9月、復刊ドットコム)作者紹介欄